教育評論第39巻第1号
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92早稲田教育評論 第 39 巻第1号生徒が主体的な言語動を取り入れることや、問題を解くためのテクニックを指導することを求めていることが判明した。そんな中で授業者が着目したのは、「古典の存在価値を知りたい、現代との繋がりを実感したいと切望している」とうったえる生徒も多数見られたという点である。この調査結果を踏まえて、模擬授業では文章の内容を一般化し、それを「自分事へ言い換える」という言語活動を取り入れた。「自分事へ言い換える」ことによって、生徒は作品と自分との繋がりを実感し、これが古典を学ぶ意義にも結び付くと想定したのである。授業後のアンケート調査では、作品に対する情報不足や説明不足で内容がよくわからなかったため、まず作品自体の理解を深める必要がある等の改善案が寄せらせたという。このことから授業者は学習者と自身との知識量の差を実感し、言語活動を行う前提として、生徒の実態とのギャップを埋めたうえで、共通認識を持つことの重要さを痛感したという。最後に、この課題研究を通して、授業者は授業改善に必要なのは「双方向的なサイクル」を繰り返すことであるという結論に達する。これは、生徒は意欲的な姿勢で授業に取り組み、教員は古典を学ぶ意義を伝えるという双方のやり取りの繰り返しということである。そのために不可欠なのは、生徒は教員に対して授業方法改善の提案や、不満に思っていることの意思表示をするということであり、一方の教員は、このような生徒からのフィードバックを受け取り授業改善に取り組むことである。そして、この「双方向的なサイクル」を理想の古典授業として提案している。当該課題研究で特に印象に残ったのは、上述の「自分事への言い換え」と「双方向的なサイクル」である。筆者自身は「自分の経験に引き寄せて考える」という伝え方をしたが、「自分事への言い換え」というのは、より生徒に寄り添った表現になっていると思われた。また、「双方向的なサイクル」は、授業改善のために生徒自身も意思表示をしなくてはならないというものであった。これは教員の立場からは提案しにくい。なぜならば、授業改善は専ら教員側の課題だと捉えられがちだからである。しかしこれは、古典教育の未来を考えるうえで一つの突破口となるであろう。⑶ 若い世代の視点さて、前項で紹介した「生徒による理想の古典授業を考える」に感銘を受けた筆者は、生徒本人とその指導担当者に直接会いたいと熱望するようになった。それは、「古典に対する学習意欲が低いこと」 が今次学習指導要領改訂の前提に挙げられるほど高校生の古典嫌いが顕著な昨今、本人が将来古典教員を目指す理由とその背景を是非知りたいと考えたからである。そして後日、高校を再訪して本人及び指導担当と対談する機会を得た。早速、どうして古典が好きになったのか質問すると、その答えは明確で、「授業で古典を自分事として捉えたら、繋がりに気づいて楽しくなったから」であった。また、古典の教員を目指す理由を尋ねると、「自分が、古典との繋がりに気づいて好きになったので、他の生徒にも古典との繋がりに気づいてもらいたいと思ったから」という答えが返ってきた。この答えは、課題研究における担当教諭の御指導からも十分首肯できた。さらに対談では、研究発表後の質疑応答にも言及した。聴衆の一人の生徒から、「今は、現代語訳がいろいろあって古典作品を読むことができるのに、なぜわざわざ文法を覚える必要があるのか」という質問があった。それに対して、「文法を覚えることで、より作品理解が深まるから」

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