教育評論第39巻第1号
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89「論語」を題材として「言語文化」から「古典探究」へ─江戸期の日本漢文を活用した学びの分析と提言─訳(通釈)を示しているものがある。教師用指導書を見ると、「「時に」:「できるときにはいつでも、常に」の意。「然るべきときに」の意であって、ときどきの意ではない。」36との解説が見られた。その他の教師用指導書は教科書の説明とほぼ同様の説明をしている。以上、「言語文化」と「中学校国語」の教科書及び教師用指導書の訳注を概観してみたが、少なくとも「(偶然発生的に)ときどき」の意ではないようではある。しかし、「四六時中いつも」なのか、「機会あるごとに、然るべきときに」なのか、どちらとも取れるものが多かった。おおまかに捉えれば「学んだことを繰り返し習って身につける」ということになるのだから、どちら付かずの解釈が無難ということになるのだろう。結局、「機会」とはどんな機会なのか、「然るべきとき」とは何を指すのかは、あまり重要視していないようだ。しかし、教員側が得心いかないまま授業に臨んだのでは生徒の理解も曖昧で、表面的な学習に終始してしまうだろう。その結果として、生徒が習ったこと自体を忘れている、という事態を招いているのかもしれない。こうして見てくると、最終的には、この章段全体の流れを把握してみることが、印象に残る上で欠かせないのではないかと考える。そこで章段を次のように三分割して、『論語集解』(古注)の解釈を示しながら、内容の流れを追ってみることにする。① 「学而時習之、亦説乎」〈同門の勉強会を企画して折に触れて学ぶのは、なんとうれしいことではないか。〉しいことではないか。〉は、なんと立派な人ではないか。〉これが旧注の全体的な解釈である。この流れを追って、①では、同門の勉強会を企画して復習することで、自身の学問への理解が深まっていることを楽しいこととして、②では、同門の友が時間をやり繰りして遠方からでも参加することを喜びとする。そして③では、最終的に、人の評価に左右されず自分の学問を貫くという達観の境地に至ることを語っていると捉えてみる。そうすると、「勧学」を重んじる孔子の姿勢にも適い、この章段が『論語』の冒頭に置かれた意義と繋がっていくのではないだろうか。この章段について、影山輝國(2016)は六朝梁の皇侃(488〜 545年)の『論語義疏』を別説として紹介している37。『論語義疏』とは何妟の古注の解釈を基に、独自の解釈を加えて発展させた注釈書である。それによると、①「学而時習……」は、学者が幼少のころ学問をする喜びを表したもの、②「有朋友……」は、学業ができつつあるころ、遠方の朋友と会って語り合う楽しみを表現したもの、「③「人不知……」は、学業が完成し、人に教える立場になったときのことを述べたものであるという。さらに、皇侃は「時」を三つに分けて説明していると述べる。概要を示すと次のようになる。一つ目「身中の時」:学問をするのに、それ相応の年齢。二つ目「年中の時」:一年の季節に適った学問をすること。時節に応じた学問は習得しやすい。三つ目「日中の時」:一日のなかで学問をすること。その日のうちに忘れないように復習する。これを見ると、皇侃は「時」の解釈にかなりこだわりを持っていたように思われる。また、影② 「有朋自遠方来、亦楽乎」〈同門の友が距離を厭わず全国各地から集まってくる。なんと喜ば③ 「人不知而不慍、不亦君子乎」〈人が自分の学問を理解してくれなくてもくさったりしないの

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