88《「言語文化」教科書における「時」の解釈一覧》発行者教科書番号第一学習社言文713、714、715東京書籍言文701、702三省堂言文703、704大修館書店言文705、706数研出版言文708、709明治書院言文711桐原書店言文717文英堂言文710《「中学校国語」の教科書における「時」の解釈一覧》発行者教科書番号光村図書国904三省堂国902教育出版国803早稲田教育評論 第 39 巻第1号「時」の注釈・現代語訳注なし「時習之」〈訳〉機会を見つけては、その時その時に復習する。「時」 折にふれて。注なし「時習之」〈訳〉ほどよい頃に復習する。「時」 折に触れて。機会あるごとに。「時習之」〈訳〉機会あるごとに復習するのは、注なし「時」の注釈・現代語訳〈通釈〉「時に」 機会があるたびに〈通釈〉 学んでは、機会あるごとに復習する〈通釈〉 学んでしかるべきときに復習する「言語文化」の教科書の注釈では、「機会を見つけて、その時その時に、折にふれて」等の解釈が示されており、新注の「いつも、常に」の意味では捉えていないようである。教師用指導書でも確認すると、特に「時」についての説明はないが、「学而時習之」の現代語訳として「学問をして、たえず身につけるように復習するのは、なんとうれしいことではないか」32としているものが見られる。これは新注に近いように思われる。その他の指導書では、「時習之」に対して、「「習」について、北宋の程頤が「習は重習なり」とするのにより、「復習する」とした」33のように、「習」に重点を置いて解説しているものが多い。「習」は、「羽」と「白」34から構成される会意文字で、ひな鳥がしきりに羽ばたいて飛ぶ練習をする意で、ひいては「ならう」を表す。したがって、学んだことを繰り返し復習して習得するという解説をしているのである。現代語訳も「学而時習之」に対して、「学んで機会を見ては、その時その時に復習する、なんとうれしいことではないか」35などとしている。確かに、学んだことが身についていくと実感するのはうれしいことであるから訳はそうであろう。しかし、「機会」とはどんな機会で、「その時その時」とはどんな時のことを指しているのかは不明瞭である。結局、新注で言う「いつも、常に」と同じような感じでよいのかと迷ってしまう。また、それがなぜ次の「有朋自遠方来、不亦楽乎」に繋がるのか得心がいかない。参考までに、この章段の「時」が中学校ではどのように扱われているかも見ていきたい。(調査対象は現行最新版(2020年3月文部科学省検定済。2021年(令和3年)4月から使用開始。)全4社のうち3社でこの章段を採録している。一覧表にすると次のようになる。中学校国語の教科書では、脚注で「時に」を説明しているものと、語釈は付けず全体の現代語
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