87「論語」を題材として「言語文化」から「古典探究」へ─江戸期の日本漢文を活用した学びの分析と提言─のために身をきよめていること)するときのように(きちんと)立つ」とは、立っているときにも習っているということである」と。では、孔子本来のことばを重視する徂徠は、この章段をどのように解釈しているのか、『論語徴』の当該箇所を見てみたい。『論語徴』 學農圃學射御。亦皆言學。而單言學者。先王之道也。…〈中略〉時習之王肅曰以時誦習之。傳曰春誦夏絃秋學禮冬讀書。其習之亦如之以身處先王之教也。〈書き下し文〉 農圃を學び、射御を學ぶ(子路篇)も、亦たみな學を言ふ。而うして單に學を言ふ者は、先王の道を學ぶなり。先王の道を學ぶには、おのづから先王の敎へ有り。…「時に之を習ふ」とは、王肅曰く、「時を以て之を誦習す」(古註)。傳に曰く、「春は誦し夏は絃す。秋は禮を學ぶ。冬は書を讀む」(禮記、文王世子)と。その之を習ふも亦た之の如し。身を以て先王の敎へに處くなり。なお、徂徠は「傳曰」として『礼記』(王制編)を引いている。『礼記』の当該箇所は、次のとおりである31。『礼記』(王制編) 順先王詩書禮樂以造士。春秋敎以禮樂、冬夏敎以詩書。〈書き下し文〉 先王の詩書禮樂に順ひて以て士を造(な)す。春秋は敎ふるに禮樂を以てし、冬夏は敎ふるに詩書を以てす。〈現代語訳〉 (国学の学長たる楽正は、礼・学・詩・書の四科の学を尊び)これを教えて人材を養成するのである。(即ち)春と秋には礼と楽を習わせ、夏と冬には詩と書を教えるのである。新釈漢文大系『礼記』の語釈には、「四術、四敎」を、「共に「先王伝来の」礼・楽・詩・書をさす。詩は今の『詩経』の原型、書は今の『書経』の原型。礼と楽とは文献よりも実技実習を重んじたものであろう。」とある。『礼記』のこの記述を参照して、徂徠は、孔子の時代の「時」とは「時節に応じて」の意であるとしている。なお、新注では「時」については特に着目していないようだ。寧ろ「習」に着目してその重要性を説いたものとしているように思われる。以上を踏まえると、「時」とは少なくとも、「偶然や思い付きで発生する機会」ではないだろう。では、高等学校の教科書において「時」はどのように説明されているのか。現行最新版の「言語文化」の教科書(9社17点)のうち、8社14点がこの章段を採録しているので、一覧表にして示すと次のようになる。
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