83「論語」を題材として「言語文化」から「古典探究」へ─江戸期の日本漢文を活用した学びの分析と提言─〈書き下し文〉子曰く、「性相近きなり。習ひ相遠きなり。」と。〈現代語訳〉孔子先生は、「人間が普遍にもつ先天的な性質は、それほど個人差はない。(ただし)後天的に獲得する習慣によって個人差が生じ、それはお互い遠いものとなる」と言われた。さらに教科書では、【参考】として、徂徠の『論語徴』の注釈を載せている。(教科書では、これに訓点を施している。なお、〈現代語訳〉は筆者が補足した。)【参考】論語徴 荻生徂徠 自孟子有性善之言、而儒者論性、聚訟 万古、遂以孔子論性之言而不知勧学之言也。蓋孔子没而老荘興、専倡自然而以先王之道為偽。故孟子発性善説以抗之。孟子之学有時乎失孔氏之旧。故荀子又発性悪以抗之。〈現代語訳〉 孟子が性善説を主張してから、儒者は「性」を論じるようになり、大昔から論争することで、そのまま、(この章段は)孔子が「性」を論じたことばだと思ってしまい、(本来これは)学問を進める「勧学」のことばであることを忘れてしまった。思うに、孔子が没して老子や荘子の思想が興り、専ら無為自然を説き、(孔子の言う)先王の道を偽(いつわり)とした。そのため、孟子は性善説を著して老荘に対抗した。(しかし)孟子の学が時代を経たためか、孔子の本来の意味を失ってしまった。そのため、荀子はさらに性悪説を著して(孔子本来の「勧学」に立ち返って)孟子の学に対抗した。また、教科書では、『論語徴』の説明として脚注に、「『論語』の注釈書。十巻。「徴」は「求める」「照らし合わせる」の意。朱熹と伊藤仁斎の『論語』解釈を批判的に乗り越えようとした。」と示している。さらに、「荻生徂徠」の解説では、「江戸時代中期の儒学者。…〈中略〉朱熹や伊藤仁斎を激しく批判する著書を残した。」と記載している。これらに対して、生徒から「批判的に乗り越える」とはどのようなことか、また、なぜ「激しく批判」したのかよくわからないという声が挙がることを想定し、これらについて考察してみたい。朱熹も仁斎もこの章段は、孔子が、人間が生れつき持っている「性」について説いたものとしている。それは本来「善」であり(孟子の「性善説」に基づく)、人間は誰しも似たり寄ったりで大差はない。それが、後天的に見につける「習」によって、大きな隔たりを生じていくのだと説いている。これに対して、徂徠は、ここでは孔子は「性」のことを論じているのではなく、後天的な学問修養の重要性、つまり「勧学」について論じているのだと主張し、二者を批判しているのである。孔子の時代は、まだ「性」の理論化が進んでおらず、孟子の「性善説」によって体系的になったとされている。そのため徂徠は、孔子が「性」を重視することはないと考えたようだ。これが「批判的に乗り越えよう」とする徂徠の主張の一端である。徂徠が仁斎を、朱熹と同様に批判していることは前述のとおりである。しかし、なぜ、同じく朱子学を批判している仁斎に対しても、徂徠は「激しく批判」したのだろうか。その理由の一つ
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