教育評論第39巻第1号
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81「論語」を題材として「言語文化」から「古典探究」へ─江戸期の日本漢文を活用した学びの分析と提言─の日本の言語事情を垣間見ることができるだろう。江戸期の日本の漢文学のレベルの高さを知ると同時に、現代日本でも「道徳」の教科書に論語が登場するように、日本人が道徳といえば「論語」や孔子を想起してしまう理由も納得できるのではないだろうか。以上のように、『論語』などの注釈書を読むことは、学習指導要領に示す「古典に関する論理的文章を取り上げること」にも適っている。学生も日本の言語文化に漢文がいかに寄与していたかを理解し、決して古文一辺倒ではなかったということを認識できるだろう。5.教科書教材としての「論語」⑴ 「言語文化」の教材2022年から実施されている「言語文化」の教科書に、「『論語』の注釈を読む」という単元を設けて、朱熹の『論語集注』と仁斎の『論語古義』の二つを比べ読みする教材が2点ほど見られ る19。これらについて大まかに紹介する。まず、『論語』為政編にある章段と共に、A・B二つの読み方(書き下し文)を次のように示している。〈『論語』為政編の本文〉 孟武伯問孝。子曰、「父母唯其疾之憂。」〈訓読A〉「父母は唯だその疾を之れ憂ふ」〈訓読B〉「父母には唯だ其の疾を之れ憂へよ」次に、〈訓読A〉の場合は〈父母が子の病を憂う〉ことになり、〈訓読B〉の場合は〈子が父母の病を憂う〉ことなると二つの方向性の違う解釈を示す。言語活動では2点の教科書で多少の違いがある。1点の教科書では、「古来、中国では〈訓読A〉が主流だったが、〈訓読B〉のように解釈する学者もいた。」と解説した後、『論語古義』を載せ、仁斎の解釈がどちらに当てはまるか考え、どちらに共感するか。理由を示しながらグループで話し合うという言語活動を提示している。もう1点の教科書では、「親孝行」について、「朱熹と江戸時代の代表的な儒学者である伊藤仁斎、それぞれの解釈にスポットをあててみる」として、朱熹の『論語集注』と仁斎の『論語古儀』の本文を比べ読みをさせたうえで、自分なら朱熹と仁斎のどちらに賛同するか、その理由を示しつつグループで話し合うという言語活動を設けている。次に『論語集注』と『論語古義』の、教科書に挙げられている箇所を示しておく。(教科書ではこれに訓点が施されている。〈「…」も教科書本文のママ〉)『論語集注』 朱熹 言父母愛子之心、無所不至。唯恐其有疾病、常以為憂也。人子体此而以父母之心為心、則凡所以守其身者、自不容於不謹矣。豈不可以為孝乎…『論語古義』 伊藤仁斎 父母已老、則侍養之日既少。況一旦染病、則雖欲為孝、不可得也。

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