教育評論第39巻第1号
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78早稲田教育評論 第 39 巻第1号その点、『論語』は最も重複の見られる定番教材であり、小学校高学年の国語から高等学校「古典探究」までの全教科書に採録されている。また、古来、日中両国の学者による訓詁が盛んであり注釈書も多い。特に江戸期の儒者による考証のレベルは高く、清朝の儒者にも引用されている。(詳しくは本章⑶で述べるが、これは他の中国古典ではほぼ見られないことである。)また、『論語』は「特別の教科 道徳」の教科書にも採録される8等、日本人の道徳観の基盤の一つとして重要な位置を占めている。生徒も高校入学以前に国語や道徳で『論語』に触れる機会を得ていると仮定すると、「古典探究」でも幅広い言語活動が想定できよう。以上のことから、日本の言語文化の変遷及び中国文化との関係を学ぶうえで『論語』は研究対象として意義ある題材と言えよう。⑵ 「論語」注釈書の教材研究現行の「言語文化」と「古典探究」の教科書には、『論語』の注釈書である朱熹の『論語集注』、伊藤仁斎の『論語古義』、荻生徂徠の『論語徴』等が採録されている。ここでは、これらの注釈書の「比べ読み」が設定されているのだが、こうした学習活動は「日本漢文」の取扱いが明示されていない「国語総合」では見られなかった。本項では教員養成課程における教材研究の一環として、主たる「論語」の注釈書と、それらが『論語』の解釈に与えた影響について述べる。『論語』の解釈は、おおまかに言うと、『論語集解』(何晏(190〜249年)らによる。後漢末〜魏。通称「古注」)と、『論語集注』(朱熹(1130〜1200年)による。南宋。通称「新注」)の注釈に基づく二通りに大別される。日本では、古くは平安時代から室町時代にかけて古注に従って読まれてきたが、江戸時代になると朱子学の影響を受けて「新注」が標準的な読みとなった。この傾向に対して、孔子の原義を尊重すべきと主張したのが、「古義派」と呼ばれる伊藤仁斎と荻生徂徠である。しかし、同じ「古義派」でも両者の主張は異なっている。徂徠は中国語をそのまま読む、いわゆる「直読」という立場を鮮明にし、日本語を優位にした「訓読」による解釈をする仁斎を批判しているのである。さらに、中国語にこだわる徂徠は、自らも中国風に物茂卿・物徂徠と称した。(徂徠の名は双松。字は茂卿。荻生氏は物部氏が本姓とされることから、物茂卿・物徂徠と自称したようだ。)徂徠によると孔子の目的は「先王(古代の聖王)の道」を伝えることであり、「先王の道」は事実のみを尊重し、議論を排斥する「古文辞」という文体で書かれている。したがって、「論語」の意を正しく理解するためには「古文辞」に習熟しなくてはならないとする。そうなると後世の注釈は、「深く信頼しないがよい。「古文辞」の修辞法がわすれられてののちの所産だからである。且つ注釈とは、本文という原形に対して加えられた議論であり、原形の変形である」9というのが徂徠の主張である。徂徠の観点からすると、朱熹の新訳は「原形の変形」であり、また、仁斎の解釈は「訓読」を介することから、両者とも批判の対象となっているのである。しかし、解釈に注釈者の主張が入るという点においては、徂徠自身もこの“害”を免れないと思われる。このような論語解釈の歴史を把握することは、中国文化が日本の文化・思想に与えた影響を具体的に学習するのに有効である。また、教材研究においても「なぜこの教材を比較するのか」を理解して授業を構築するために必須と言えよう。

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