教育評論第39巻第1号
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64早稲田教育評論 第 39 巻第1号の出入国管理は、「内務・海外県海外領土・地方公共団体・移民省」(le ministère de l’Intérieur, de l’Outre-mer, des Collectivités territoriales et de l’Immigration)の管轄となった。ところで、フランスにおいて、滞在許可証を持たない移民労働者は、「紙を持たない」を意味する「サンパピエ」(sans-papiers)と俗称される。移民 ・ 統合 ・ 国民アイデンティティ ・ 連帯発展省への批判が高まりを見せた時期には、飲食業や建設業などで多く働くサンパピエが地位の向上と滞在許可証の発行を目的に大規模なストライキや抗議運動を繰り返していた。国立移民史シテもこうした時局から逃れることはできず、2010年10月7日、約500人の非正規移民によって建物内を占拠された。この運動は、フランスの主要な労働組合のひとつであるフランス労働総同盟(la Confédération Générale du Travail)によって支援された数千人によるストライキから派生しており、最終的には2011年1月までの約3か月間に渡って継続された。フランス労働総同盟と占拠者との交渉により、占拠中は可能な限り国立移民史シテの職員や市民に迷惑をかけないこと、あらゆる場面で人や物品の安全を保障することが取り決められた。このため、移民史シテと地下階の水族館は、当初、通常と変わらず一般公開を継続し、開放的な公共施設としてのイメージが損ねられないよう配慮された。また、一般来場者、ストライキ参加者、シテの占拠者のすべてに対して、シテの展示について公開・解説する機会を設けた25。しかしながら、占拠期間が長引いた結果、11月末には一旦、公開を停止し閉館することを余儀なくされた。占拠の継続が、労働運動と国立移民史シテの両方のイメージを損なうことを懸念したシテ側は、占拠者との交渉を続け、敷地内において労働運動の活動場所を一時的に提供することを条件に占拠解除の合意に至った。その後も多数の非正規移民が滞在するなどの問題が続いたが、最終的には2011年1月にほぼすべての占拠者が撤去した。非正規移民による移民史シテの占拠は、メディアによってほとんど取り上げられなかったという26。占拠を取り上げたメディアも、シテの政治的立ち位置についての問題を好んで取り上げ、また、過激派組織や政府の移民対策、社会政策を短絡的に論じる傾向があった27。こうしたメディアの対応について、当時のシテ館長であるリュック・グルーソンは以下のように述べている28。 メディアに登場し利用されるのは移民をめぐる議論であり、……受け入れ社会で暮らし、溶け込もうとすることを選んだ男女の運命が描かれることはめったにない。残念ながら、このような移民の不可視化は今に始まったことではない。……ほとんど痕跡を残していないこの歴史に光を当てることが、フランス移民史博物館にとっての真の課題である。移民政策の妥当性や問題点を列挙するメディアの姿勢がある一方で、移民自身に関心を寄せて論じる世論は少なかったというのである。3.国立移民史博物館の改編(1)改編の背景2007年の開設当初、国立移民史シテの科学運営委員会(le conseil d’orientation scientifique du Musée)は、歴史学者であり、移民史の先駆的な研究者でもあるジェラール・ノワリエル(Gérard

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