教育評論第39巻第1号
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63フランスにおける旧植民地および移民へのまなざしの変化─国立移民史博物館の沿革から─ 私にとって、これは倫理的な行為である。移民・統合・国民アイデンティティ・連帯発展省の設立を受け入れて何も起こっていないふりをすることはできない。我々の職務や、移民に関する政治的操作の存在、排外主義的ナショナリズムが発展していることを考えると、国立移民史シテ自体がこの省の創設に傷つけられることはないとしても、我々の仕事は危機に瀕している。 我々は国立移民史シテの活動や会議に私的な立場では参加するが、独立性と批判的感覚を持ち続けるために、もう公共機関に席は置かない。このことから、辞任した委員会メンバーが、公的機関に帰属することで生じる政治的な制約を避けたことや、より自由な立ち位置から自身の歴史観や移民に関する見解を国立移民史博物館の活動に反映させることを選択したことがうかがえる。移民・統合・国民アイデンティティ・連帯発展省に対しては歴史委員会の全12名のメンバーが、「移民」と「国民アイデンティティ」を組み合わせて省庁名として用いていることに意義を唱えており、2007年5月29日、同省の大臣であるブリス・オルトフ(Brice Hortefeux, 1958-)と面談し、「全会一致の異議を大統領に伝え、省庁名を変更するように要請した」とされるものの19、状況に大きな変化はなかった。そして、政府との溝が埋まらぬまま、官公庁をまじえた正式な開館式も開催されない状況の中で、2007年10月10日に国立移民史シテは静かに幕を開けることになった。同時期、世論やマスメディアにおいても、移民についての議論が高まっていった。2009年から移民・統合・国民アイデンティティ・連帯発展相となったエリック・ベッソン(Éric Besson, 1958-)は、同年11月から2010年1月まで、「国民アイデンティティ についての大討論」(le grand débat sur l’identité nationale)を開催した。この討論会は100の県と350の準県で開催され、各県の代表団と国会議員および欧州議会議員が主導し、初等・中等・高等教育の教員や学生、保護者、労働組合、経済界の代表、地域の代表、退役軍人の代表、愛国者団体など、国内のあらゆる活動勢力が一堂に会した20。討論会は2部制で行われ、第1部では、フランス人である意味を問う「国民アイデンティティ」についての議題が設定された。第2部では、「国民アイデンティティへの移民への貢献」という議題が設けられ、どのようにすれば、国民的アイデンティティの価値を外国人とより共有することができるのかが論議の中心となった。この討論会の目的は、全フランス国民に、社会における国民感情の重要性と価値について、深く考えさせることにあるという21。同討論会は、討論を通じた国民的アイデンティティの構築を意図的に行うものであるとの非難を生むと同時に、移民とともに歴史を刻んできたフランスで国民的アイデンティティを見出すことは不可能なのではないかとの議論も呼んだ22。また、この討論会に関して、『ル・モンド』紙は国民的アイデンティティと移民とを結びつけることは危険であると批判した(2009年12月16日付の社説)23。さらに、特定の団体や知識人からは、この大討論会が、移民・統合・国民アイデンティティ・連帯発展省によって実施されたことこそが、サルコジがフランスの国民的アイデンティティに執着していることの表れであるとして反発が強まった24。こうした一連の批判も相まって、移民・統合・国民アイデンティティ・連帯発展省は2010年11月に解体され、移民

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