教育評論第39巻第1号
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60早稲田教育評論 第 39 巻第1号である。国立移民史博物館は、2007年に国立移民史シテ(la Cité nationale de l’histoire de l’immigration)の名で開設された、フランス国内で唯一の移民史に特化した国立博物館である。同博物館は、2023年に常設展示を大きく刷新した。17世紀に行われた奴隷貿易や、その後の人口移動を伴う一連の歴史的事象を、現代の移民の歴史的原点として位置付けることで、移民史のパースペクティブを一新したのである。国立移民史博物館に関する研究では、田邊佳美「『移民の記憶』の排除から承認へ─フランス・国立移民史シテ設立の政治学─」や3、中條健志「フランスにおける『移民』の歴史化─国立移民歴史館開館をめぐるメディア・ディスコースの分析─」などがあるが4、いずれも国立移民史博物館開設時の状況に焦点が当てられており、近年の改編までは包括されていない。また、国立移民史博物館を旧植民地および移民に対する人々のまなざしや認識の変化から論じた研究は少ない。そこで本研究では、国立移民史博物館の沿革を分析し、移民や旧植民地を取り巻く社会的言説との連関について考察する。また分析に際しては、筆者が2023年に訪問した国立移民史博物館での収集資料や、同博物館をめぐる研究論文やマスメディアの報道等を用いる。なお、本論が主題とするところの「まなざし」とは、国立移民史博物館の沿革や移民政策などから読み取れる、近年のフランス社会全体における移民をめぐる概念や認識を指す。1.国立移民史博物館国立移民史博物館の前身である国立移民史シテは、フランスにおける移民の歴史に関連した資料を収集、保存、公開し、フランス社会への移民の統合についての理解を深めることを目的に設立された。シテ(cité)とは、フランス語で「都市」や「集合住宅区」などの人の集まる場を意味する語である。2004年に首相ジャン=ピエール・ラファラン(Jean-Pierre Raffarin, 1948-)によって発表された国立移民史シテ設置計画においては、文化大臣や司法大臣を歴任したジャック・トゥボンによる報告書を援用し5、「広く一般市民や学校関係者に開かれた野心的な博物館として、国家の目印的な場であり、関係者のネットワークや既存のイニシアチブを集結する場として、生き生きとした移民文化を浮き彫りにするもの」として同博物館が設計されたと述べられており6、このため、シテの名称が用いられたとされる。博物館として展示公開をするだけでなく、移民に関心を持つ人々の議論の場として、また、ネットワークの拠点として博物館が機能することも視野に入れられていた。国立移民史シテは、1931年のパリ国際植民地博覧会7の際に建設され、現在も歴史的建造物として残るポルト・ドレ宮(le Palais de la Porte Dorée)を利用して開設された。ポルト・ドレ宮は、フランスの植民地経営の「偉大さ」を内外に発信する目的で建設され、地下階には、植民地の水生生物を展示する熱帯水族館(現ポルト・ドレ宮熱帯水族館)が、地上階には、植民地博物館(le Musée des Colonies)が設置された。このうち、植民地博物館は、1932年にフランス国外植民地博物館(le Musée des Colonies et de la France Extérieure)となり、1935年に海外フランス博物館(le Musée de la France d’outre-mer)となった。さらに、多くのフランス植民地が独立した1960年には、アフリカ・オセアニア美術館(le Musée des arts Aafricains et océaniens)となった。また、1980年代半ばに、アフリカ・オセアニア国立美術館異文化交流発展協会(l’Association pour le

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