38早稲田教育評論 第 39 巻第1号されている。実に緻密に構造化された教材だと高く評価できよう。第3節:教材における「自由」観からみる道徳教育上の特徴―日本の道徳教育との比較のために第3課は、フランス共和国の市民として尊重すべき「自由」の理念を学ぶために、自由を支える二つの条件を生徒に考慮させることが意図されていたと考えられる。①活動1では、過去に視点を定め、先人たちのたゆまぬ闘争と努力によって自由が勝ちとられてきた歴史に思いを巡らせることになる。その際、「集会と結社の自由」が歴史をふりかえるための一つの軸として設定されているが、その眼目は、いわば、〈私の個人的権利としての自由〉を、〈私たち〉という集団の力によって擁護する必要性を理解することにあったといえる。②これに対して活動2は、「奴隷制」を軸として、〈他者の権利としての自由〉へと視点が移動する。生徒はこの活動を通して、誰か他の人の自由の侵害のうえに成り立つ「自由」は、権利として正当化されることができず、「自由」の名に値しない、という皮肉な事態に気づかなければならない。〈他者の権利としての自由〉という視点を媒介することで、〈私の個人的権利としての自由〉が批判的に問いに付され、自由を正当化する条件の次元が明らかになるのである。その結果、権利としての自由は、他人の自由を擁護する「義務」と一体のものであることが論理必然的に理解される。こうした意味での自由こそ、フランス共和国の市民が尊重すべき価値としての「自由」なのである。さらに活動2では、過去から現代へと場面が移動することで、①で問題となった自由獲得のための闘争の歴史が、実は過去のものにとどまらず、(「現代の奴隷制」のような形で)現在進行形で続いている、私たち自身の置かれた状況でもある、ということを理解することも目指されている。以上が、第3課が示している「自由」の学習・指導過程の構造である。以下では、このように構造化された「自由」の捉え方から抽出することのできる、道徳・公民科の指導法上の特徴を挙げてみたい。それによって、日本の道徳教育のあり方との有意義な比較の可能性を示すことがねらいである。1)3課全体を通して、自由が、「権利と義務」という道徳的であると同時に法的な概念枠組みのなかで捉えられていることである。自由は単に道徳的な行為にかかわるだけではなく、実際の政治・社会の成員=市民に要求される行為の視点で理解されている。それゆえに、自由はさまざまな法制史上の出来事や、現代の社会問題と密接に連関するのである。この点は、道徳・公民科がその教科名の通り、道徳教育と公民教育の一体的実施を企図していることに由来している。日本の学校における道徳教育が、「道徳性」という、政治・社会とは独立して捉えられる「内面的資質」の育成という目標を前提に、権利や義務とは切り離されたものとしての道徳的自律に限定して自由を捉える傾向を強くもつこととは、極めて対照的である。2)次に、権利と義務にかなう道徳的に妥当な行為へと生徒たちを促すための指針として、歴史的知識や法制度上の知識、現代の社会的課題についての知識などの〈適切な知識〉の獲得と、知識に基づいた〈健全な判断力〉が想定されていることが特徴的である。特に第3課では、「自由」という価値を理解するために、フランス革命以降の自由をめぐる闘争の歴史を学び、法的に整備された様々な権利にかかわる知識を関連づけなければならない。また、設定されている設問
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