教育評論第39巻第1号
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33フランスの前期中等教育段階における道徳・公民科授業・教材研究(1) ─「自由」をめぐって─の、歴史の授業で学んだ知識を活かし、この事実を植民地のプランテーションが本国フランスに巨大な富をもたらしていたという経済的理由から説明することが可能である。いずれにせよ、自由の獲得には、大きな障害が絶えず存在したこと、それを克服するために多くの労苦が必要であったことを確認させることが、この設問のねらいであろう。設問4 フランスは常に、新たな自由を与えた最初の国だったのか。具体例に則して答えなさい(資料1)。この設問に答えるには、資料1の年表の情報だけでは十分ではない。そのため、教員の指導が必要である。資料1では、この設問に答えるための手がかりとなるような、国ごとの比較を可能とする、複数の国にかかわる同一テーマの情報は、「奴隷制の廃止」にかかわる話題しか認められない。1838年の「イギリスにおける奴隷制の廃止」、1848年の「フランスにおける奴隷制の廃止」、1865年の「アメリカにおける奴隷制の廃止」である。この場合でも、学習ノートには記載されていない、以下のような歴史的経緯についての知識に訴えることが必要となる。フランス本国では奴隷の数はそれほど多くなかったものの、植民地、とりわけ中米のサトウキビ農園では、アフリカから連れてこられた多くの奴隷が過酷な労働を強いられていた。フランスで奴隷制廃止が宣言されたのは、1794年2月、ジャコバン派が率いる第一共和政下でのことであった。しかし、第一執政として政治権力を掌握したナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769-1821)により、1802年には奴隷制が復活している。これについては、ナポレオンの初婚相手であったジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais / Marie-Josèphe Rose Tascher de La Pagerie, 1763-1814)がマルティニックでプランテーションを営む家の出身であったことが関係しているとされる。1848年、第二共和政下において、フランスは恒久的に奴隷制を廃止するにいたった。これに先だって、1838年に連合王国(イギリス)が奴隷制を廃止している。アメリカ合衆国で奴隷制が廃止されるのは、南北戦争を経たあとの1865年である。本設問では、こうした学習ノート外の歴史的知識を、教科書の参照や教師による説明・発問等の指導上の工夫により補完しつつ、学習・指導を進めていくことが前提とされているといえよう。こうした事情は、学習ノートが様々な授業展開に開かれていることを示している。したがって、例えば、以下のような歴史的知識を適宜補完することで、奴隷制をめぐる論点以外にも議論を広げることが可能である。1944年の「普通選挙」に注目するならば、歴史の授業で扱った他国の普通選挙の実施時期を想起させたうえで、男女同権がフランスで最も早く確立されたわけではないことを話題にすることができる。その関連で、女性の参政権が、オランプ・ド・グージュ(Olympe de Gouges, 1748-1793)による『女性と女性市民の権利宣言』以来、多くの時間と労苦の末に確立されたことを確認することもできるだろう。設問4は、別の視点からも、学習ノートの構造、またより一般的にはフランスの道徳・公民科教育の特色を考えるうえで示唆的である。フランス革命を起点とする資料1の歴史年表は、一見すると、まさにフランスこそが自由の先進国であったという印象を与えるものである。しかし、年表に記された出来事の歴史的経緯をじっくりとふりかえるなら、自由の歴史のなかで、フラン

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