教育評論第39巻第1号
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32早稲田教育評論 第 39 巻第1号たるものが、同業者組合であった。年表の冒頭に置かれている、1791年のル・シャプリエ法は、まさにそうした職業結社活動を禁止する法律として有名である。同法は、一方では特権団体と見なされた旧体制(Ancient Régime)下の同業者組合制度を廃止し、経済活動の自由を保障することを意図するものであった。しかし他方では、労働者間の団結をも禁止するものであったため、同法が廃止される1864年に至るまで、とりわけ産業革命下のフランスで労働者階級の集団的な権利要求活動を抑圧する法として機能した。この設問の意図は、いちどフランス革命初期に確立した「集会と結社の自由」(1790年)が、ル・シャプリエ法による否定を経つつも、不断の努力によって再度確立されていく歴史的過程を考察させることにあると推察できる。この設問に答えるには、「労働組合」(syndicat)や労働運動について、一定の歴史的知識が必要となる。そうした知識を補完するため、年表の欄外には、いくつかの重要語句について説明がなされている。例えば、「労働組合」については以下の通りである。労働組合:自らの就労上の利益を守るために集まり、結社(association)としてまとまった人たちの集団旧体制下のフランスは、国家と個人の間に様々な中間団体が複雑に介在する、社団的社会として特徴づけられる。赤子は生まれるや小教区(paroisse)の教会で洗礼を受け、成長とともに聖体拝領などの儀式を教区の教会で執り行うことになっていた。村落共同体(communauté villageoise)、領主所領(seigneurie)は一定の自治権や自由(統制の免除)を認められて、そこに暮らす人々を支配・統御した。職人たちが職業生活に参入するにあたっては、同業者組合(corporation)や職人組合(compagnonnage)に加入することが必須であった。組合加入に際しては、よきカトリック信者であるという教区の司祭による証明が必要不可欠であった。国家と個人の間に存在した、これらの中間団体たる社団は、所定の費用を支払うことと引きかえに、王権から様々な特権を認められていた。王権は、こうした中間団体を通じて間接的に税を徴収し、臣民を支配した。フランス革命はこうした社団を徹底的に解体し、国家と個人が直接的に向き合う政治体制を確立するという原則をうちたてた(7)。フランスにおいて、集会・結社の自由は、このような歴史的文脈のなかで、あらたに獲得されなければならない権利だったのである。設問3 これらの自由の獲得が困難であったこと、それに対して異論が唱えられてきたことを示しなさい。あなたの考えでは、そこにはどのような理由があるか(資料1)。年表を参照しつつ設問3に答える際に注目しなければならないのは、①設問2で問題となった「集会と結社の自由」に加え、②「奴隷制」をめぐる歴史である。①集会と結社の自由については、上述したように、革命初期以降のル・シャプリエ法による職業結社の禁止に加え、圧制的体制(帝政や王政)において集団的な(また、個人的な)意見表明の自由が抑圧されてきたことが想起されるべきであろう。②奴隷制については、年表を参照すれば、1794年にいちど廃止されているが、その直後の1802年に復活していることがわかる。学習ノートでは説明されていないもの

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