444444444444444444「通俗的な歴史観に、カスリ傷ひとつあたえることのできない44444444248 蛇足ながら、これはロシア革命とではなくむしろ「その後」の歴史との「関連づけ」(の欠如)の例になるが、メキシコ革命について教科書②には「メキシコ革命がラテンアメリカ社会に及ぼした影響は大きく、各地で独立と革命の運動が発展した」(②:269)との記述があるにもかかわらず、「影響」とはどのようなもので「各地」とはどこを指すかについての記述は、管見の範囲では教科書内に見当たらなかった。専門的には、中米のエルサルバドル・ニカラグアにおいて、メキシコ革命を模して企てられた1920年代の農民闘争のことを指すと思われるが、ラテンアメリカ諸国への言及が極めて少ない高校教科書の現状に鑑みれば、致し方のないことだろう。早稲田教育評論 第 39 巻第1号このように比較してみると、ロシア革命における「土地に関する布告」の位置づけが重要であるならば(教科書上、同事項はゴチック体で強調されている)、メキシコでは革命憲法に記された「大土地所有の分割」もまた同様に重要であることがわかる(はずなのに、教科書上では欄外の注に回されている)。そもそも、ロシア革命では「憲法制定議会を強制的に解散させた」、すなわち、憲法制定は実現しなかったことを考えれば、制定に漕ぎ着けたメキシコ革命は、その到達度がもっと高く評価されてもよいのではないだろうか。比較してみるとはすなわち「関連づけ」ることであり、こうして「関連づけ」る作業によって、世界史教育上の「埋没」から少しでもメキシコ革命の意義は「掘り起こす」ことができるだろう8。教科書の構成上「関連づけ」が欠如しているならば、「関連づけ」は学習者が興味の赴くまま自発的・積極的に取り組むべきことであり、それこそが歴史教育の改善であり、『世界史探究』における「探究」の理想像なのかもしれない(『日本史探究』にしても同様だろう)。もっともその場合、教員の適切な「介入」(指導)が必要なことは言うまでもなく、高校歴史教育者の奮闘を願ってやまない。むすびにかえて本稿は、日本の世界史教科書(『世界史探究』)においてラテンアメリカの扱い方が量的にも質的にも不十分であることに注目し、その原因・理由および改善点を探ることを目的として、教科書の構成上の問題、具体的には、アステカ帝国・インカ帝国の「「配置」の誤り」およびメキシコ革命の「「関連づけ」の欠如」について検討してきた。その詳しい内容は本論に譲るとして、結論的には、「「配置」の誤り」にしても「「関連づけ」の欠如」にしても、ことは歴史叙述における同時代認識に関わることであり、同時代ではない事象同士であれば慎重に切り離さなければならないし、同時代の事象同士であればその関係性の有無が検討されなければならないということである。最後に以下では、こうした本稿の取り組みが、世界史におけるラテンアメリカの認知度を高めるだけでなく、なぜ「歴史教育全体の発展にも資する」かを明らかにしたい。日本の近世・近代史家の安丸良夫はかつて、1970年代の人々の思想状況について、「巷には大型テレビドラマ風の「通俗日本史」が氾濫していてそれが現代日本の民衆の歴史意識をかたちづくっている」(安丸 1996:164)ことに注意を促している。安丸自身の体験としても、経済史に関する長年の蓄積を踏まえた講義を学生に向けておこなっているにもかかわらず、学生の試験答案に講義内容とはまったく無関係の「通俗日本史」に沿った素朴な感想が添えられるにつけ、教師である自分のピエロぶり!!」
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