①D×××早稲田教育評論 第 39 巻第1号22 歴史事象大項目(部)ロシア革命メキシコ革命6 国内の研究では、取り急ぎ関 2021、関監修 2022を参照されたい。第一次世界大戦とロシア革命中項目(章)帝国主義とナショナリズムの高揚小項目(節)こうした教科書上の配置の誤りはいかに改善されるべきであろうか。まず注目されるのは、b)にあるように、アステカ文明・インカ文明をあえて「大項目B」に配置しない教科書が、少ないながら現れてきていることである。教科書①・②はいずれも、「大項目B」においてアメリカ大陸の古代文明にそもそも触れず、「大項目C」ではじめて登場させるという構成を取っている。かなり大胆ではあるが、妥当な「戦略」として評価されるべきである。古代文明とは古代という時代に存在したことをあくまでも意味するのであって、16世紀前後という古代ではない時代にヨーロッパほかの文明と同時代的に存していたアステカ文明・インカ文明をして安易に古代文明と名指すのは、西欧中心主義もしくはアメリカ大陸に適用された「オリエンタリズム」の傲慢さに他ならず、是正されて然るべきである。こうした教科書構成では、アメリカ大陸の古代文明の扱いが逆に手薄になるとの批判もありえよう。しかしそれはそれで、「大項目B」において、アメリカ大陸「本来」の古代文明「のみ」を適正に記述すればよいのである。「引用1」にもあるように、北米大陸については「前1200年頃までに成立したオルメカ文明」を、南米大陸については「前1000年頃に北部にチャビン文化が成立した」ことをそれぞれ中心に据え、最新の研究成果6を踏まえて叙述の厚みを増すように心がけるべきである。重要なことは、今後はアステカ文明・インカ文明を切り離したアメリカ大陸の古代文明像を確立することである。古代文明の叙述をいつまでもアステカ文明・インカ文明に依存し続けることは、「通俗的歴史観」の似姿に他ならず(後述)、アカデミズムの怠慢と言われても仕方がないだろう。(2)「関連づけ」の欠如――メキシコ革命の場合ここではメキシコ革命に注目し、それが同時代に勃発したロシア革命に比肩する歴史的事件でありうるにもかかわらず、ロシア革命をはじめとする他の歴史事象との「関連づけ」がなされていないがゆえに、世界史教育上ではいかに「埋没」しているかを明らかにする。ここで両革命を簡単に確認するならば、 ロシア革命は、1905年の「血の日曜日事件」をきっかけとした農民・労働者による改革が不徹底に終わったのち、第一次世界大戦参戦の不満が高まる中、戦争の即自終結とソヴィエト(評議会)への権力集中を訴えるレーニンが亡命先から帰国し、1917年11月に臨時政権を倒して社会主義政権を樹立した(十月革命)。一方メキシコ革命は、長期独裁体制に対する1910年の農民蜂起に始まり、以後、国内の権力闘争およびアメリカ合衆国の介入によって情勢は混乱したが、ロシア革命成就と同じ1917年に新憲法が定められた。つまり、革命としての外形的特徴に相似性があることが見て取れるだろう。メキシコ革命とロシア革命に関する記述の教科書上の配置を整理すると、以下のようになる。メキシコ革命、ロシア革命の教科書上の配置
元のページ ../index.html#28