4征④⑤⑥⑦BCBCBCBC「辺境」から考える歴史教育─『世界史探究』におけるラテンアメリカの位置づけをてがかりに─ 44444444444444444444444444421文明の成立と古代文明の特質大交易・大交流の時代古代文明の特質ヨーロッパの成長と世界の一体化アフリカ、オセアニア、古アメリカ大交易時代と世界の一体化古代文明の歴史的特質アジア諸地域の成熟とヨーロッパの進出スペインとポルトガルの進出5 教科書では通常、アステカ文明・インカ文明にマヤ文明が加えられているが、本稿では意図的に除外している。なぜなら、その繁栄期は「前10世紀頃〜後16世紀」(③:36)と紀元前にも遡るのであり、マヤ文明こそはアメリカ大陸の「古代文明」の範疇に含めるに相応しいからである。今後避けるべきは、マヤ文明とアステカ文明・インカ文明を「3点セット」にして、相も変わらず古代文明として語ることである。南北アメリカ文明ヨーロッパの海洋進出、アメリカ大陸の変容アフリカと南北アメリカヨーロッパの海洋進出古アメリカ一体化に向かう世界──(節分けなし)再確認するならば、「大項目B」(諸地域の歴史的特質の形成)には古代文明が、「大項目C」(諸地域の交流・再編)には大航海時代が含まれる。a)からわかるように、多数の教科書がアステカ文明・インカ文明を両大項目の中に配置している。その典型的な叙述は以下のとおりである。大項目Bメキシコ南部と中央アメリカの先住民文明の原型となったのが、前1200年頃までに成立したオルメカ文明である。その衰退後に、……メキシコ南部ではテオティワカン文明(前1世紀〜後6世紀)が、その後にアステカ王国を中心とするアステカ文明が成立した。/アンデスの高地では、前1000年頃に北部にチャビン文化が成立して以降、様々な王国が現れたが、15世紀半ばに現在のコロンビア南部からチリにおよぶ広大なインカ帝国が、クスコを中心として成立した。(③:36。以下、「引用1」とする)大項目C「新世界」での成功を夢みたスペイン人は、次々とアメリカ大陸に渡り、侵略に乗りだした。1521年にコルテスがアステカ帝国を、1533年にはピサロがインカ帝国を征服した。こうした「服者」によって、現地で栄えていた古代文明の多くが破壊された同様]。以下、「引用2」とする)つまり、アステカ文明・インカ文明の興亡はじつに大航海時代に重なるのであり、それぞれ16世紀初頭にスペイン人によって滅ぼされるまで存在していた、近代のとば口にあった文明である。しかし、教科書上ではまず古代文明の「延長」に接続されてしまうことで、両文明はあたかも古代文明であるかのような強い印象を学習者に与えてしまうのである。その意味で、「引用2」中の傍点部分の叙述はじつに象徴的である5。。(⑦:153。傍点筆者[以下
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