①②③CCBC早稲田教育評論 第 39 巻第1号20 大項目(部)結びつくユーラシアと諸地域大交易時代文明の成立と古代文明の特質大交易・大交流の時代中項目(章)アメリカ大陸の変容ヨーロッパの海外進出南北アメリカ文明ヨーロッパの海洋進出とアメリカ大陸の変容小項目(節)あるが、各地域はそれぞれに静態的に完結しているわけではなく、同じ時代にあって互いに関連しているということである。こうした地域間の歴史の同時代性・相関性をいかに過不足なく叙述する=関連づけるかは、まさに各教科書の執筆陣の構想・技量にかかってくるのだが、ラテンアメリカについては、この教科書構成上の「関連づけ」についても課題があると言わざるをえない。以上、本稿が分析対象とする『世界史探究』を概観する過程で、ラテンアメリカの扱いをめぐっては、教科書の構成上、歴史事項の「配置」および歴史叙述の「関連づけ」において課題がありうることを示唆した。次節では、これらの課題の在処を具体的に示し、その改善点も可能なかぎり具体的に示していきたい。2.ラテンアメリカの歴史叙述の問題点(1)「配置」の誤り――アステカ文明・インカ文明の場合日本の世界史教育において、ラテンアメリカに関わる項目でもっとも問題含みなのは、北米・南米大陸でそれぞれ展開した、アステカ文明・インカ文明の扱いである。それは端的に言えば、両文明があたかも「古代文明」であるかのように教科書上配置されていることに起因する。念のため教科書の記述に即して確認するならば、アステカ文明は「14〜16世紀」に、インカ文明は「15世紀」に成立しており(③:36)、いかなる意味においても、エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・中国文明のような古代文明ではありえない。インカ帝国について専門家の言葉を補うなら、「インカは15世紀末から16世紀前半にかけての100年にも満たない短命な文化の1つにすぎなかった」(関 2021:iii)のである。それにもかかわらず、いくつかの教科書の古代文明の分布を示す世界地図には、いわゆる四大河文明に加えて、アメリカ大陸にはアステカ文明・インカ文明があたかも古代文明の「代表」かのように表示されている(③:19;④:29;⑤:18-19)。さらには、インカ帝国を象徴するマチュ=ピチュ遺跡の写真が添えられることで(③:36;④:41;⑤:18;⑦:19)、同帝国はなおいっそう古代文明であるかのような印象が強められているのである。以下は、『世界史探究』の7冊の教科書におけるアステカ文明・インカ文明の大項目上の配置、および、アステカ文明・インカ文明を含む中項目・小項目の名称である。アステカ文明・インカ文明の大項目上の配置a)「大項目B」+「大項目C」:③・④・⑤・⑥・⑦b)「大項目C」のみ:①・②アステカ文明・インカ文明を含む中項目・小項目の名称
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