そのまゝ)5」と、先輩学生のナマの声である旨、ことさらに注記が付されていた6。 国際親睦会 上海は国際都市である。その結果この会も必然的に発生したのである。 本会は上海在住の男女学生は国籍の如何を問はず会員の資格を有する。……目的とする所は、各国の融和親善を謀り語学の練習に外ならず。毎年二回開催され、会場は廻り順に各校の講堂で行はれる。演芸、茶菓の饗応をなし、所謂国民挺身外交である。 一葉の外交文書よりも、国民外交が如何に重要であり効果的である事(ママ)も了解出来る。 諸君、外国映画で紹介されてゐるメリーピックフォード、リリアンギツシュの金髪娘、(ママ)水も滴る支那美人を寸尺の内に拝顔の光栄によくし乍ら、特意の会話で樽俎折衝(?)する大和男子のお姿を想像し給へ、聞いたゞけでもぞつとする。(野村1931:141-142)学生目線による等身大の語り口でISFの一側面を活写した、なかなかの名調子と言えようか。ISFが「各国の融和親善」を第一の目的に掲げながら、同時に他面において「演芸、茶菓の饗応」から、さらに「外国映画で紹介されてゐる」ような「金髪娘」や「水も滴る支那美人」を口説き落とす様を「所謂国民挺身外交」と戯れに称しているわけである。前記2.1で見た先行研究(Au-Yeung 2007)はISFメンバー校のうちSt. John’s Universityの年次アルバム『約■年刊』(英文誌名 The Johannean)を1次資料として用い、ISFにおける社交活動・男女交際の実践をクロースアップしたが、同様の側面は本節で一瞥した書院の紹介文からも窺い知ることができ、そのような一面が確かにあったことが、より説得的に裏付けられたと言えるだろう。一方、『東亜同文書院大学史』(1982:243-244)をひもとくと、YMCAに関する記述の中に以下のような言及が見られる。前後の文脈も把握するため、長めに抜粋する。 ややもすれば無骨一点張りと見られ勝ちな書院生の中にあって、不思議にも各学期百名の学生の中には二、三名の熱心なクリスチャンが混じっていたのは面白い現象であった。その中でも一期生の坂本義孝、九期生の藤原茂一、十三期生の森沢磊五郎らはいずれも優秀なクリスチャン教授となり、後輩のために教鞭をとり、永くその影響を残したことは特筆に値いする。……もちろん、YMCAはその性格上、学友会に属するグループではなかった。当時から学内活動としては格別の動きはなく、せいぜい坂本(1)教授や藤原(9)教授7の住宅を週一回ぐらいの割合で訪問し、教義の研鑽に励む程度のものであった。しかし、そ国人大学間8には「国際学生親睦会」(International Student Fellowship)があって、の頃上海の中上海の主な大学、専門学校約十校の学生によって組織され、例会が各校持ち回りで開催されていた。(ママ)(ママ)(ママ)は、結果から見て932.2.2 東亜同文書院史の記述
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