92従来ISFに関しては、その存在自体ほぼ取りあげられることなく、唯一これに注目した先行研究は社交活動、特に男女交際の舞台としての側面にフォーカスするものであった。これに対し本稿は、まずISFの活動の実際を主に当時の新聞記事によって具体的に浮かび上がらせた後、書院との関わりを切り口として、それが学生間の親睦団体というだけでなく、国際的な平和運動のネットワークの一環として位置づけられるべき組織であったことを浮き彫りにしようとする試論である。ここで国際的平和運動のネットワークとは、具体的にはFellowship of Reconciliation(友和会。以下FORと略称)を指す2。FORは非戦・非暴力による和解と平和の実現をめざす国際的な市民運動団体(NGO)で、1915年キリスト教フレンド派(クェーカー)の人々により結成。日本でも1926年に結成され、昭和戦前期、草の根の民間平和団体として日中両国間、そして欧米、特に米国の平和運動人士と連携しながら非戦・平和運動を展開した。本章ではまず先行研究についてレビューし、併せて史料状況について確認する。史料としては大きく2次資料と1次資料とに分けたうえで、2次資料として、研究対象とした1930年代当時の受験案内書を瞥見した後、書院の学校史の記述を検討する。その後、主な調査対象とした1次資料について説明する。まず先行研究であるが、そもそも昭和戦前期の上海にISFという組織があったこと自体、現在ほとんど知られていない状況であり、ISFについて主題的に論じたモノグラフは管見の限り見当たらない。そうしたなかで唯一参照すべき研究成果が、中華民国期の大学生活を、特に学生の日常生活、余暇の実相をも含めてビビッドに描き出した学位論文(Au-Yeung 2007)であり4、青年男女の出■いの場としてISFが人気を集めたことが指摘されている。ISFは他校の女生徒と知り合う機会ができるとの理由で「ぜひとも加入すべき社交団体」(p.45)と見なされており、「I. S. F. の頭文字をInter-Sex-Fraternity[男女間における性的友愛]と解釈する学生もいた」(p.66)という。いささかゴシップ的な言説とも受け取れるが、おそらく一面の真実をつくものであったろう。次節に見る書院の紹介文にも同様の言い回しが見られたからである。それは大学等への進学を目指す受験生向けのガイドブックに掲載された記事である(野村1931)。書院の概要説明に続き、「学生ゝ活断片」を紹介したもので、末尾に「(在学生の紹介記2.先行研究および史料について2.1 先行研究レビュー2.2 2次資料2.2.1 受験案内書での紹介ISF創設以来、中心的役割を発揮した人物は東亜同文書院教授の坂本義孝(1884−1946)であったが、坂本は実はFORの有力メンバーであった3。そして坂本をキーパーソンとして、日本・中国・欧米の間をつなぐ平和運動が展開されていたのであった。本稿は100年前(1924)に誕生したISFの活動にあらためて光を当て、世界戦争の危機の時代に、国境を跨ぎつつ、草の根レベルで展開された平和教育の地下水脈を掘り起こそうとするものである。
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