いて、国家の視点ではなく島々やそこに生きる人々の視点から捉え直すことで、「国境」や「国土」、さらには近代国家を相対化して捉える視座を養うことが可能となるのではないだろうか。しかしこうした歴史教育を目指す上では、「国境地域」の島嶼についてどのように定義し、またいかなる視角から分析すればよいかということを検討するところから始めなければならない。本稿ではそのための基礎的作業として、日本における「国境離島」をめぐる政策の展開過程や法的概念としての「国境離島」の定義を踏まえた上で、東アジア海域における「国境地域」の島嶼の地理的状況や歴史・文化・社会・対外交流、そして現状を比較する。その結果をもとに「国境地域」の島嶼に関する分析視角を抽出し、新たな分析概念としての《国境離島》やそれによる島々の比較可能性について提起したい。本章では、離島振興法やそれに基づく離島振興政策の展開、さらに有人国境離島法に基づく特定有人国境離島地域に関する施策についてみていきたい。日本では戦後、国土における体系的かつ総合的な地域開発を推進する目的で、1950年に国土総合開発法が制定され、隠岐、対馬、種子島、屋久島などが「特定地域」に指定された。しかし、同法は比較的大きな離島10のみを対象としており、離島の実情に即したきめ細かな独自の振興策が必要とされたことから11、1953年には離島振興法が超党派の議員立法の形で10年間の時限法として上程され、成立した12。離島振興法はその後、10年ごとに改正・延長が繰り返され、2023年には7回目の延長を迎えたが、法延長のたびに離島振興計画が作成されてきた。第1次と第2次の離島振興計画では、離島の「後進性」と「本土との格差」を除去するための基礎的条件の改善や産業基盤の整備に重点が置かれていた13。第3次計画では産業の振興と医療の確保14など社会生活環境の整備に重点が置かれ、離島について人口規模、位置、存在状況などによって性格を分類し、それぞれの類型ごとに政策目標を策定するものであった。第4次計画では、離島における居住環境の総合的な整備を図ることを目標に、交通の総合化と体系化、離島が持つ特性を生かした産業の自立的な振興、離島の類型にもとづく生活環境の整備が行われた15。初期の離島振興計画で目指されていたのはインフラの整備であり、さらにそこに生活関連事業も追加されることになった。すなわち、離島の地理的条件によって生じている発展・開発の遅れや不便さに対応するものであったといえる。離島振興法が1993年に延長された際には、離島が「国土の保全、海洋資源の利用、自然環境の保全等に重要な役割を担っている」と新たに明記された。これにより、「離島の国家的な役割16」が明確にされ、離島振興は新たな段階へと入った。2003年の延長の際には、離島の役割に関する記述のうち「国土の保全」が「我が国の領域、排他的経済水域等の保全」と改められたことで、領土や経済水域を保全する上での離島の役割がより明確にされた17。さらに「本土より隔絶せる特殊事情よりくる後進性を除去」が「産業基盤及び生活環境の整備等が他の地域に比較して低位にある状況を改善する」と改められ、それまでの離島政策の根幹であったともいえる離島の「隔絶性」や「後進性」に関するトーンが落とされた。さらに、「地域における創意工夫を生か」して「離島の自立的発展を促進」し、「国民の利益581.離島振興法と特定有人国境離島地域
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