注(注1) 第35号(Web刊、2022年8月31日)所掲の「研究経過報告」、および第36号(Web刊、2023年めることは、自らの国の作品を読み学習するという点で、中国の古典たる漢文をひたすら扱うのとは別種の感覚を持つかも知れない。といって、その漢字による表記そのものに対する拒絶的な反応が修正されようとは思われないが、発想等の土壌を同じくするものの見方や考え方に共感し得るものが少なくないかも知れない。「言語文化」の学習後に選択履修される「古典探究」との教材的な連携などもまた積極的に考案されねばならない。そこに古典学習の真価が問われる。*本論文は、2021年度〜2022年度採択の研究部会「新高等学校国語科目「言語文化」(共通必履修)の教材研究」の成果の一部である。1869月7日)所掲の「研究完了報告」。(注2) 「江南游記」は、翌1922年1月から2月にかけて『大阪毎日新聞』に連載され、後に「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」「雑信一束」を併せて大正14年(1925)11月に『支那游記』と題して改造社から刊行された。(注3) 張継詩の詩碑についても、「主人。(略)まだその上に面白いのは、張継の詩を刻んだ石碑が、あの寺には新旧二つある。古い碑の書き手は文徴明、新しいのは兪曲園だが、この昔の石碑を見ると、散散に字が欠かれてゐる。これを欠いたのは誰だと云ふと、寒山寺を愛する日本人ださうだ。──まあ、ざつとこんな点では、寒山寺も一見の価値があるね。」と、詩碑をめぐって古い碑と新しい碑の書き手である文徴明と兪曲園の名、ならびに旧碑の損耗に絡んだ日本人の所為といった多少ショッキングな伝聞も披露されるが、いわゆる碑の拓本そのものに関わる言及はない。(注4) 「蘇州紀行」は『中央公論』1919年2月号に前半が、後半は「画舫記」の題で同3月号に掲載され、後に『小さな王国』(1919年6月、天佑社刊)に「蘇州紀行」の題で収載された。(注5) その第四首こそ寒山寺をめぐる姉妹の詠作である。 門泊東吳萬里船(門に泊る東吳 万里の船) 烏啼月落水如煙(烏啼き月落ち 水 煙 寒山寺裡鐘声早(寒山寺の裡 鐘の声早く) 漁火江楓悩客眠(漁火 江楓 客の眠りを悩ましむ) 起句の「泊」字は張継の詩題の「夜泊」、「東呉万里船」は張継詩の「客船」に重なるが、その起句はそもそも杜甫「絶句四首」其の三の結句をそのまま摘句したものである。そして結句の「客眠」は張継詩の「愁眠」にすべて連なり、承句の「烏啼」「月落」、結句の「漁火」「江楓」は張継の詩語を上下に入れ替えて、転句の「寒山寺」と「鐘声」とが張継詩の風韻を象徴もする。まさに張継詩中の語を巧みに織り込んだモザイク的な詩趣をもつ詠作といえる。(注6) 『中島敦全集』第二巻(昭和52年(1977)5月、筑摩書房刊)「歌稿その他」による。(注7) 副島道正輯、大正6年(1917)刊。(注8) 昭和16年(1941)3月、岩波書店刊。(注9) 『書道研究』第54号、1993年8月。なお、岡崎信好『扶桑鐘銘集』巻三「摂津国部」(「国立国会図書館デジタルコレクション」)所収の「摂州西成郡天満郷松雲峰寒山寺鐘銘并序」に鐘の成った年記が確認できる。また、『曽根崎心中』に鳴る鐘の音は、「釣鐘屋敷」にあった時の鐘(大もやのごとし)
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