教育評論第38巻第1号
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情」に「換ふ」と詠ずる「我」すなわち逍遙にとって、「君」とは特別な存在に他ならない。この「君」たる女性こそ、逍遥が恋慕して已まなかった南条サダ(貞子)に他ならない。サダは、逍遥の知己たる佐佐木信綱の竹柏園で和歌を習い、琴も能くする上州館林出身の令嬢であった(注16)。結句にいう「玉琴の声」とは、彼女の弾く琴の声に他ならず、「仙階 人見ず」とは姿は見えぬまま琴の音色のみを慕い思う逍遙の情感を詠ずる。多感な青春の巧まぬ表出に他ならない。逍遙の詩篇は「古典探究」の教材にも採用されている。桐原書店の「古典探究」には、『逍遙遺稿』外編「思君十首」の第一首と第二首とを並べて教材とする。第一首は、思君我心傷(君を思ひて我が心傷み)つか思君我容瘁(君を思ひて我が容瘁る)中夜坐松蔭(中夜 松蔭に坐せば)露華多似淚(露華多く淚に似る)「我が心傷み」、「我が容瘁る」とは、「思君」という行為の結果である。しかるに、思いは晴れること無く、夜露こそ涙に似たる存在に他ならない。「思君」の「君」とは、「道情七首」の第一首に詠じた「君」に通底する。この「君」こそ逍遙にとって不変の愛しの君の存在に他ならない。第二首は「思君」の行為のもたらす「我が心悄ひ」、「我が腸裂く」という我が心腸の悲痛は、昨晩流したその涕涙が、今朝はすべて血と成ると詠じる。その血の涙こそ、君を深く思うも成就せざる苦悶を象徴するものでもある。この二首をセットにして教材とするのは、旧『高等学校学習指導要領』下の桐原書店『探究古典B』の「日本の漢詩」を継承するものであるが、新たに『言語文化』の教材となった「道情」第一首と相俟って、一途な恋情を表出する詠作として学習者の心に訴え共感を呼ぶものでもあろう。因みに、病弱であった逍遙は自らを辞賦文学で名高く消渴疾を病んだことで知られる司馬相如奔」に及んだ卓文君との相思相愛を念じてやまない(注17)。に擬え、彼が「琴心」を以て挑んで「私『逍遙遺稿』の詩篇には「馬相如」はもとより、相如と文君の史伝や故事による詩句が頻出する。「君」をめぐる情念の表出を探るとき、相如・文君の典故に基づく表現の世界に一歩を踏み出すことになろう。恋愛の感情をストレートに表出した詩篇だけに、訳詩の作成など、さまざまな展開が可能な教材と考える。「古典離れ」や「古典嫌い」が叫ばれて久しいが、その改善もまた難題でもある。古典との距離を縮める端緒は、日常生活の中にある。日本漢文や近代以降の文語文や漢詩文などを教材に含うれ思君我心悄(君を思ひて我が心悄ひ)思君我腸裂(君を思ひて我が腸裂く)昨夜涕涙流(昨夜 涕涙流る)今朝尽成血(今朝 尽く血と成る)かけおちむね185

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