もまた帰京を果たし得る万に一つの可能性をもつ。春雪の中の雁と烏に向けられた道真の眼差しは、単に雁の足に帛がつくかと「疑」い、烏頭が白んだがために都のわが家に帰れることを「思」うとの想念の世界に甘んじるものでない。むしろ帰京の実現を希求する思いが脈々と底流する。まさに二鳥に託して詠み得た心意は、『菅家後集』冒頭の「自詠」(476)の思いと気脈を通じて呼応すると考えられる。太宰府天満宮蔵の道真の筆になるという「自詠」の書軸に見える鳥点の文字、天暦年間(947〜957)比良宮での道真の霊(天神)の託宣における「自詠」と「謫居春雪」の詩句との関わり等ヘの拡がりもある(注14)。道真を考える多くの材料を内在する詩篇であり、教材の意味は大きいと考える。『高等学校学習指導要領』の「言語文化」の3「内容の取扱い」(4)に示された留意事項イ「古典の教材については、表記を工夫し、注釈、傍注、解説、現代語訳などを適切に用い、特に漢文については訓点を付け、必要に応じて書き下し文を用いるなど理解しやすいようにすること。」について、『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説』は、 古典の教材としての古文と漢文を理解しやすくし、親しみやすくするためには、学習に際して読みにくい漢字や熟語に読み仮名をつけたり、難読な部分には、注釈、傍注、解説、現代語訳などを適切に用いたりする配慮が必要となる。と学習に対する工夫を喚起すると同時に、言うまでもなく、古典の学習において原文は尊重される必要がある。したがって、例えば現代語訳などを取り上げるにしても、おのずと適切な範囲はあり、原文との関わりにおいて取り上げることが大切となる。具体的には、原文と対比できるよう現代語訳などを取り上げたり、原文の前後を現代語訳などで補ったり、原文と同一の文種や形態に属する他の文章や作品を現代語訳などで取り上げたりすることなどが考えられる。このように、現代語訳などを活用しつつ、それらを通して、古典そのものに対する興味・関心を広げていくよう配慮することが大切である。原文に向き合うある意味での苦渋の解消の方策も示され、古典離れの打開ヘの道筋も配慮されている。典故を用いた表現の扱いなど、辞書や文献に向き合わざるを得ないだけに、それを使ってどう解釈にたどりつくのか、試行錯誤を強いる学習上の課題であると考える。2022年度にスタートした「言語文化」の「日本漢文」教材として興味深いのは、第一学習社『高等学校 言語文化』・『高等学校 精選言語文化』・『高等学校 標準言語文化』・『新編言語文化』の「漢文学編」の「漢詩」ないし「漢詩の鑑賞」に採用された中野逍遥「道情七首」の第一首の存在である。逍遥が生まれたのは、明治維新前夜の慶応3年(1867)2月11日。その年は、多様多彩な数多くの人材を輩出したまさに当たり年でもあった(注15)。逍遥は、その正岡子規、夏目漱石、幸田露伴、尾崎紅葉、齋藤緑雨らに同じくこの年に生を受け、明治17年(1884)9月に合格した東京大学予備門では、正岡子規や夏目漱石と同級となった。同23年(1890)9月に帝国大学文科大学漢文学科に進学し、同27年(1894)7月に同科第一回卒業生となり、さらに研究科に進み「支那メッセージ183〔3〕中野逍遥「道情七首」第一首
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