唐詩に「雁足」の例を索めれば、宋之問の「登逍遥楼」に、無因雁足繋書還(因鄭遂初の「別離怨」に、繋書春雁足(書を繋ぐ 春雁の足)また白居易の「初冬月夜得皇甫沢州手札并詩数篇因遣報書偶題長句」に、心逐報書懸雁足(心は逐ふて書を報ぜんとして雁足に懸く)のごとき句が見える。しかるに、「雁足」につく真白き春雪に基づき「繋帛」を連想する道真の発想は、類例を見ない。そこには書信を待ちわび、あるいは帛書を託さんとの思いが滲みはしまいか。しかもその詠法は、この承句の一句にとどまらない。結句の「烏頭点著」は、烏の頭に白雪が降りつもることをいっている。その「烏頭」の句もまた典故をふまえ、「思帰家」へと展開する。『史記』巻八十六「刺客列伝」の「太史公曰」の注(『索隠』)に引く『燕丹子』によれば、秦の人質となっていた燕の太子丹が燕に帰らんことを求めると、秦王は、「烏の頭が白くなり、馬に角が生じたら、帰国を許そう」と約束した。かくて燕丹が天を仰いで嘆くと、烏の頭は白くなり、馬に角が生じた、という。この燕丹の故事を踏まえる結句では、烏の頭があたかも雪帽子で白くなったことによって、燕丹さながらに帰京帰家の許されんことを思いやっている。望郷帰京の念は抑えがたく、遠く離れた太宰府の地にあって、起死回生の吉報を待望念願したか。道真は他の詩篇にも「烏」を詠じてはいるが、「烏頭白」の故事を用いることはない。そもそも故事にいう「烏頭白」は、本来「馬生角」と対になって、現実にはあり得ないであろうことを想定したもので、燕への帰国をのぞむ燕丹に課せられた難題との意味をもった。それが燕丹の嘆きを承けて、「烏頭白」と「馬生角」の二事が現実化するが、「謫居春雪」では「烏頭白」のみが詠まれる。もちろん「春雪」との関わりでは「烏頭白」の話題のみで事足りる。この「烏頭白」の用例を中国の詩歌に求めてみれば、白居易の「答元郎中楊員外喜烏見寄(四十四字成)」に、との句がある。この詩は元和13年(818)江州司馬に遷謫されていた白居易の作で、配所から帰り得る日について詠じているが、その日の到来の容易ならざることを「烏頭白」の一事を借りて詠じている事実に注目したい。身の上が道真と同様であることとともに、また白居易には、この一例のみならず翌元和14年(819)、江州より忠州に向かう道中で詠じた「江州赴忠州至江陵已来舟中示舎弟五十韻」に、烏頭因感白(烏頭因りて感じて白し)また長慶3年(822)以前の作といわれる「潜別離」に、烏頭雖黒有白時(烏頭黒しと雖も白からん時有り)といった「烏頭」にまつわる作例もある。「謫居春雪」を詠作する道真は、意外な春雪に触発されて、貶謫の境遇にあった白居易の「烏頭白」の句作に一つの発想を得たかとも推測される。道真は、眼前の白雪をうけて白んだ烏頭を見ては、帰京を思うと淡々と結ぶ。しかし、その烏頭が白いという事実に基づく思いは、春雪の如く淡くはかないものではなかったにちがいない。いにしえ、天は燕丹の嘆声を聴きとどけた。燕丹が帰郷を果たし得たことをもってすれば、自ら182(遂)よしまさ我帰応待烏頭白(我の帰らんには応無く雁足に書を繋ぎて還に烏頭の白からんことを待つべし)かへさん)
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