続く。作者としては菅原道真が七点で最多となるが、ただその数は、「不出門」「読家書」「謫居春雪」の三作を合わせた総数であり、続いては夏目漱石が「題自画」「春日偶成」を合わせて六点で続いている(注11)。菅原道真に注目してみると(注12)、一点のみの採用ではあるが、「謫居春雪」(514)は道真の絶筆となった作品に他ならず、その境涯に思いを馳せれば、とりわけ鳥にまつわる典故を二重に用いた詠懐が道真への思いをそそるものである。盈城溢郭幾梅花(城に盈ち郭に溢れて 幾ばくの梅花ぞ)猶是風光早歳華(なほしこれ風光の 早歳の華)雁足黏将疑繋帛(雁の足に黏さ烏頭点著思帰家(烏の頭に点転句は、白銀の世界の中で、雁の足にあたかも春雪が粘り着くがごとき光景を点出する。雁の足につながれた帛といえば、漢の蘇武にまつわる雁書(雁信)の故事が想起されよう。蘇武は漢の武帝の使節として匈奴に使いしたが、捕らえられて十九年。新たに即位した昭帝が匈奴と和親を結んでのちのこと、漢の使者が単于に「上林苑で天子が射た雁の足に帛書がついていて、蘇武らがある沢に生きていると書いてあった」と言い迫るにおよんで、蘇武はついに漢に帰るを得た。この『漢書』巻五十四「蘇武伝」(「李広蘇建伝」付載)にいうところの雁書の故事に因んで、しらぎぬ雁の足に帛に書かれた手紙が着いているかと思われると詠じるが、そこに想起される書信は家族の便りか、放免を知らせるそれか。「帛」は「帛書」の意。あるいは、見方をかえれば、春に北に向かって出発する「帰雁」に、わが思いを寄せた書信を託せんとするのか。その旅の中路に飛来する先は、上林苑ともいうべき京の都は宮中でもあろう。白雪さながらの身の潔白を伝信せんがためでもある。鳥の中で詩篇に頻出するのが「雁」でもある。道真の詩篇の中で、『菅家後集』には「聞旅雁」(480)の作がある。これは『言語文化』の教科書にも採用される詠作でもある。我為遷客汝来賓(我は遷客たり 汝は来賓)共是蕭蕭旅漂身(共にこれ蕭蕭として旅に漂さるる身なり)攲枕思量帰去日(枕を攲てて帰り去らむ日を思ひ量らふに)我知何歳汝明春(我は何れの歳とか知らむ 汝は明春)雁は、秋に飛来して翌春には帰りゆくところから賓客にみたてられ、「賓雁」の別名をもつ。その往来は毎年恒例だが、貶謫の身の上にある道真の場合は異なる。何れの歳に帰京がかなうかは推し量れない。その遷客のままならぬ境遇を詠じた作でもある。この詩作を含めて、その他の雁を詠じた詩でも、道真は直接的に雁書の故事を用いてはいない。「謫居春雪」において、その雁書の故事は「雁足」と「繋帛」の字句によって象徴されたが、ねやかり将し著きては 家に帰らむことを思ふ)ては 帛を繋ゐかただよはけたるかと疑ふ)さきがけ謫居に降りつもる春の淡雪。起・承の二句は、都府の内も外もいたるところで百花の魁てがみ梅の花が満ち溢れるかと見まごうほどの雪景色を吟じている。この絶筆となった「謫居春雪」は雪を梅に見立てて、『菅家文草』開巻の道真十一歳の処女作「月夜見梅花」と呼応させているとの説もある(注13)。181
元のページ ../index.html#187