教育評論第38巻第1号
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3 江蘇省立教育学院の農民に対する社会調査によれば、国民政府の存在を知っていた民衆は、3割4 梁漱溟『郷村建設理論』、中華書局、2018年(初版:1937年)、368頁。5 張蓉『中国現代民衆教育思潮研究』、中国文史出版社、2005年、53〜55頁。6 張蓉「試析江蘇省立教育学院的弁学特色」、『邢台職業技術学院学報』第2期、1999年、17〜21頁。7 新保敦子「中国における民衆教育に関する一考察─兪慶棠と江蘇省立教育学院をめぐって─」、『早8 杜光勝等「陳汀声与江蘇省立教育学院的電化教育」、『内蒙古師範大学学報(教育科学版)』第26巻9 徐紅彩等「中国最早的電化教育専業創建始末─前江蘇省立教育学院与国立社会教育学院創弁電教124以下であった(出典:甘豫源『郷村民衆教育』、商務印書館、1935年、58頁)。稲田教育評論』第15巻第1号、2001年、57〜78頁。第5期、2013年、24〜27頁。専業的歴史与総結」、『電化教育研究』第175巻第11期、2007年、90〜94頁。10 茅仲英「兪慶棠」、中国現代教育家伝編委会編『中国現代教育家伝(第四巻)』、湖南教育出版社、1987年、161頁。11 「江蘇省立教育学院鳥瞰」、『江蘇教育』第1巻第6期、1932年、170頁。12 江蘇省立教育学院総務部文書股編『江蘇省立教育学院一覧』、江蘇省立教育学院、1935年、4〜16頁。13 童潤之「江蘇省立教育学院始末記」、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会編『艱苦的探尋:江蘇省立教育学院校友回憶録(第四輯)』、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会、2004年、8〜25頁。14 劉於艮「回憶母院極盛時期的情景」、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会編『艱苦的探尋:江蘇省立教育学院校友回憶録(第三輯)』、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会、2000年、28〜31頁。15 前揭13、「江蘇省立教育学院始末記」、36〜53頁。16 江蘇省立教育学院総務部文書股編『江蘇省立教育学院概況』、江蘇省立教育学院、1937年、4〜6頁。17 江蘇省立教育学院は、成立当初、民衆教育館などの教育施設の人手不足を解決するために、2年制の農事教育専修科と民衆教育専修科を設立した。この2つの専修科は臨時的なものであり、またその内容は民衆教育学系、農事教育学系に重なる部分が多いため、1934年に中止された。1936年、電影播音(日本語:放送)教育専修科、労作師資専修科という2つの新しい専修科が設けられた。さらに学科編成に関しては、桂林時期および戦後の復校時期には、戦前の無錫時期と異なる学科を設立した。18 王倘、喩任声「恵北実習的概述」、『教育与民衆』第6巻第5期、1935年、906〜919頁。19 楊燮理「下郷実習生活漫談之一」、『教育与民衆』第6巻第5期、1935年、923頁。20 保甲制度によって地域社会が再編された。10戸を1甲、10甲を1保とし、それぞれ甲長、保長が選任された。21 前揭19、「下郷実習生活漫談之一」、923頁。22 湯桂林「下郷実習生活漫談之二」、『教育与民衆』第6巻第5期、1935年、924頁。23 前揭19、「下郷実習生活漫談之一」、922頁。24 前揭22、「下郷実習生活漫談之二」、926頁。25 葉蘊貞「在民教系四年」、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会編『艱苦的探尋:江蘇省立教育学院校友回憶録』、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会、1989年、38〜41頁。26 前揭22、「下郷実習生活漫談之二」、927頁。27 前揭22、「下郷実習生活漫談之二」、926頁。28 王倘「関於恵北民衆教育実験区的回憶」、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会編『艱苦的探尋:江蘇省立教育学院校友回憶録』、蘇州大学原江蘇省立教育学院校友会、1989年、110〜116頁。29 野々垣明子「ライシーアム運動における教師教育(1)」、『皇學館大学教育学部研究報告集』第10号、

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