教育評論第38巻第1号
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③農事実習農場試験場では、農事実験や農業改良普及のほか、農家に農業技術や経営のノウハウなどについて確実に支援できる人材を育成するため、学生に対する農事実習に力を注いた。教育学院においては、農事実習は入学してすぐ始まるものであった。農事教育学系、農事教育専修科の新入生は畑の耕し方や農具の使い方などの農作業の基本作業から農業のスキルを身につけた。そして2年生と3年生は1区画の農地に分配され、自分でこの農地で農作業を実施する実習を行った。学生は季節ごとに栽培する作物の種類や栽培方法を計画し、指導員の承認を得て、整地から収穫まで耕作する。毎日の農作業記録はもちろん、収穫時には農産物の収穫状況や栽培状況を記した報告書と、簿記による収支報告書を作成する46。教育学院では、レタスやトマトなど当時の中国社会にとって珍しい西洋野菜も育てた。学生たちは心を込めて栽培したトマトを家に持ち帰り、家族は今まで見たことない野菜を見て、驚いたという47。ところで、教育学院が行った農場実習の状況を考察する際に、留意しておきたいのは、農場実習の目的は農業技術員や農業経営者を育成するのではなく、将来的に、農作業に従事する農民たちを指導する農事指導者を育成することにあった。そのため、農業技術の上達はもちろん、 農民たちの生活を深く理解し、農民たちの信用を得ることも重要な課題であった。そして農事試験場では、農家と連携してモデル農地を運営したり、農民たちを農事試験場が開催した農事展覧会に参加させたりして、農家と交流する機会を多く設けた。このような恵まれた環境の中で、農事教育学系においては農業生産に関する基礎理論の伝授のみならず、作物の栽培や実験から、農村社会で農民たちと一緒に農産物を育むまで、様々な実践をする機会が設けられるようになったのである。一方、地域の課題解決に参画し、社会貢献を大切にする農事試験場の取り組みは、19世紀末からの欧米社会に始まった大学拡張運動(university extension、中国語:大学拡充)に影響を受けたと推測できる。その理由の1つとして、教育学院の関係者たちが創刊した民衆教育の学術誌『教育与民衆』では、「美国(米国)的拡充教育」(1929年)48、「剣橋大学(ケンブリッジ大学)拡充教育」(1931年)49、「美国(米国)大学的拡充教育運動」(1931年)50、「美国(米国)成人教育的原原本本」(1934年)51などの一連の文章によって欧米の大学拡張が紹介された。アメリカのウィスコンシン大学は、農業講習会への講師派遣や実験農場の実践を土台として、新しい大学拡張事業を先駆的に開始した大学であった52。実学的、進歩主義的空気の中で、大学が地域住民の生活と結びつきを持ち、地域社会に対する社会的貢献の役割を考えていたことを示している53。それに対して、教育学院の試験農場では、地域社会のニーズに応じて、農事研究、農事普及の事業が行われた。その中で農家と連携して示範農地を行ったり、農民たちを農事試験場が開催した農事展覧会に参加させたりすることによって、農家や地域社会とのやり取りや交流する機会が多く設けられるようになった。これらの動きから見ると、留学背景を持つ民衆教育者は教育学院を拠点として、欧米の先進的な教育理念の紹介及びその実践に向き合い、教育学院という中国教育史に画期的な存在と言える高等教育機関を作り上げたと思われる。122

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