教育評論第38巻第1号
127/208

んでいた。例えば稲作の品種改良に関しては、1930年に黄巷実験区において、5石(体積の単位)の「曲玉」種が使用されたが、2年後の1932年にはその量が20石に激増した。そして1935年には、南門民衆教育館と恵北実験区で合計30石の「光頭黄」種が使われ、北夏実験区では5石の「二一八号」種が使用された43。こうしたことから、農事改良の普及は年々拡大したことが確認される。さらに、教育学院の回想録の中で、元学生の張士錚は、自分が経験した農事試験場のことを以下のように語った。こういった語りから、当時の農事試験場の事業は、院内、あるいは教育学院の民衆教育実験区に留まらず、無錫県、そして滬寧線沿線までに広がっていたことが確認された。1934年度には、種鶏138匹、卵101,080個、牛乳11,646ポンド、稲、麦類の種子123石、蜂蜜1,067ポンド、工芸品1,476件、野菜2,794斤、野菜の種子292袋、盆栽184鉢、花の種子416袋、標本数百件が販売された45。 その利益は、農事試験場の更なる拡大につながったと考えられる。実験組作物組①作物の発育状況に関する研究、②水稲の遺伝実験、③水稲種子の発芽実験、④水稲の水耕栽培の肥料実験、⑤玄米と精白米の栄養比較、⑥麦類の染色体に関する研究、⑦小麦の人工育種、⑧気候の観測、⑨稲麦の品種改良①狼山鶏産卵量と抗病力に関する研究、②レグホーン種鶏と国産鶏の交雑実験、③子豚の成長速度と体重の比較研究、④子豚の配合飼料の比較研究、⑤豚舎と鶏舎に関する研究、⑥乳用牛の飼育、⑦アメリカの優良種豚(4種)の比較研究、⑧アメリカの優良種豚と国産豚の交雑実験①キャベツ(4種)、レタス(5種)、エンドウ(6種)などの冬野菜の栽培試験、②桃圃場の整備(樹木剪定や害虫駆除など)、②各種の果樹の栽培試験①昆虫の採集と標本作り、②作物病害虫の種類の調査、③害虫駆除剤の実験と普及、④害虫駆除機の倣製、⑤野菜の病害虫に対する調査と生活習性研究、⑥無錫の螟虫の種類調査①無錫と宜興周辺の動物・植物の採集と標本作り、②動物・作物病害虫の標本作り牧畜組園芸組昆虫実験室生物実験室農芸化学実験室①江蘇省の土壌分析、②江蘇省の肥料使用状況調査、③各種の農業製品製造 農場には育種室、気象台、乳牛場、豚舎、鶏舎、苗圃、温室、缶詰工場が設置されており、その全ては一定の規模を持っていた。販売される農業製品は良質で安価であり、無錫県のほか、滬寧(上海と南京)線沿線にも販売が行われていた。無錫県の住民たちが飲んでいる殺菌牛乳の殆どは、母校の農場から供給されていた。缶詰工場は、ブリキの缶を使い、食品加工から真空殺菌、そして製品入庫まで出来上がり、当時では非常に先進的と言えるものであった……農場の気象台は無錫県で最初のものである。天気予報は教育学院の独自の放送局を通して放送され、無錫県の住民たちから好評を博した。さまざまな制限の下で、大学の農場がこれほど幅広い社会貢献ができることは、当時では珍しかった44。表2 農事実験場の実験内容実験内容121

元のページ  ../index.html#127

このブックを見る