1933年から昆虫実験室、1934年から植物病害実験室など、新しい実験が次々始まった37。一方、その時期では農事の実験はただ短期間、小範囲で試作しただけで、実験結果の信頼性は十分とは言い難い。また、農事を指導できる人材が不足していたため、農事の普及は近隣の農家に少量の優良種子を配ることや、農家と連携してモデル農地を運営することに限られた。しかし、普及は狭い範囲に留まっていたにもかかわらず、実験に参加した農家の収穫量は周囲の農家に比べ多く、まもなく近隣の評判になり、優良種子を希望する農家が増え、種子の供給不足などの問題が生じた。そのため、1933年からさらに21畝の農地を借りて種子繁殖の事業を行った38。さらに、教育学院の在学人数が年々増加しており、1933年秋学期に農事教育学系と農事教育専修科の学生人数が100人を超え、農場の狭隘化が進んだ。よって1934年、十分な実習や研究、実験活動ができる環境を整えるため、教育学院は新たに農地31畝、桑田4畝、山地110畝を購入し、学生の実習や作物の繁殖、造林事業の推進が確保されるようになった。施設に関しては、育種工作室や種子貯蔵室、豚舎、鶏舎などが順次に建てられた39。1935年の『江蘇省立教育学院一覧』によれば、1935年の時点で農事試験場の面積は院内35畝、院外200畝(林場も含む)となっており、具体的には学生実習区、種子繁殖区、作物実験区、作物育種区、野菜区、果物区、花卉区、森林育苗区、標本区、畜産区に分けられた40。そして数年をかけて、農事試験場の運営に必要な施設と設備が整えられた。その施設として、農場弁公室、農系農専弁公室、農産売物室、森林弁公室、農業普及弁公室、園芸組弁公室、農村工芸室、農村工芸陳列室、作物実験室、作物予備室、気象測定室、農芸化学実験室、化学予備室、昆虫実験室、生物実験室、器械貯蔵室、肥料室、種子室、農具室、鶏舎、鶏舎飼料室、孵卵室、養蜂管理処、養牛室、養牛弁公室、園芸用温室、豚舎などが設けられた。設備に関しては、農具(827種)、畜産設備(749個)、作物(1,820個)、園芸設備(621個)、測定設備(329個)、昆虫実験設備(530個)、生物・植物病理実験設備(861個)、顕微鏡(22個)、農芸化学実験設備(2,841個)、農村工芸品(300個)、水汲み上げポンプ、エンジン、精米機、ワーディアン・ケース、ミクロトーム、自動気圧記録機などが配置され41、農事試験場の施設と設備はかなり充実していたと言えよう。1936年に実施した「全国農業推広(普及)実施状況調査」42によると、当時の農事試験場では、以下のような実験が行われている(表2)。作物組、牧畜組、園芸組、昆虫実験室、生物実験室、農芸化学実験室といった研究組や実験室において、品種改良による農産物の品質の向上や、肥料・農薬を用いた生産量の向上など、農業に関わる課題に科学的アプローチで取り組もうとした。以上の論述から見れば、農事試験場は農学を専門的に研究する施設ではないとはいうものの、農産物の栽培や家禽の飼育に関して、本格的な科学実験および入念な現場調査、また外国の優良品種の導入が積極的に行われ、農事に関する実験が確実に進んでいたと言えよう。②農業改良普及教育学院の周辺地域に設立された民衆教育施設の増加につれ、農事改良の普及事業も徐々に進120
元のページ ../index.html#126