学院の台所で、饅頭(マントウ)の作り方などを実際に学んでいたという。学年が上がるにつれ、実習活動の内容や期間も徐々に実践的になっていく。1年目は教育学院の各実験機関を見学したが、2年目から本格的な教育実習を行い、学生は教育学院が開催した民衆教育活動に参加した。3年生は教育学院が設立した実験機関(民衆教育実験区など)で民衆教育事業を行い、県外の民衆教育機関へ見学する機会もあった。4年生は1年間、長期的に農村部や都市部に住み込み、当地で民衆教育の実践を進めた。実習活動の種類の充実のみならず、1年ほどの長期間で実習地域に入り込んで、実習活動を行うことも1つの特徴である。これは、「郷村社会の困苦は、郷村社会に長期的に生活している人しかわからない。そのため、私たちが民間に深く入り、民衆の実際の生活に参入し、結果的に「民衆」の1人になることで、郷村社会の問題解決は初めて可能となる」18という教育学院の考え方に基づいたものである。その意味では、学生たちは外部社会から農村社会に入り込んだにもかかわらず、実習の場である広い農村社会において、決して特別な存在ではなく、むしろ民衆と対等な存在であることが、教育学院の望みであった。1935年、『教育与民衆』の「民衆教育人員問題特集」には、農村社会で長期に実習を行った学生たちの文章を掲載している。ここでは、これらの文章の内容を整理して、長期実習の様子を窺おう。「豊かな森、のどかな田園……この田舎の自然風景の美しさを、言葉で表現するのは難しいと感じている……雄鶏が鳴くと朝日が昇り、私たちは朝の光の中で森へ行き、新鮮な空気を吸いながら鳥のさえずりを聞く。これは音楽よりも爽やかで気持ちがいい……仕事後、のんびりと畑を散策するのも非常に風情がある」19という。学生たちは都市社会と異なる新しい風景を味わった。しかし一方で、農村社会での仕事は極めて忙しかった。 毎朝6時に起き、簡単な整理整頓をして、園芸場で植物の水やりをする。その後に朝食を摂って本番の仕事が始まる。午前中は主に事務室で民衆教育活動計画の作成や、工作報告の執筆、公文書の管理、民衆学校の宿題の確認といった仕事に従事する。もし時間が余れば、民家への調査や訪問も午前中に行う。 12時には食事、13時から15時は民衆日校で授業を行う。授業後は、農場で中耕、除草、下肥汲みなどの農作業に従事し、また民衆体育館で民衆の体育運動を指導し、あるいは農事倉庫で倉庫業務を手伝いすることもある。太陽が沈んで夜が訪れると、夜の民衆教育活動が始まる。民衆学校の授業を行い、学生と共に壁新聞を作り、時には特約茶園に行って農民と各種の郷村問題を話し合った。また民衆国術(中国伝統武術)団に参加したり、甲長20講習会116(2)教育実習一方、教室での授業は、あくまでも教育学院の教育内容の一部に過ぎない。教育学院は4年間(専修科は2年間)の学校生活を通じて、多種多様な実習活動や、研究・実験活動を提供し、民衆や社会に根ざして教育を行う資質、教育実践で理論を試行錯誤する資質を学生に身につけさせようとした。
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