4.江蘇省立教育学院の教育内容(1)カリキュラム編成1938年の「師範学院規程」(国民政府教育部)が公布される以前、高等師範学校のカリキュラム編成については一定の規定がなく、学校側の自由度が高かった。一方、当時の民衆教育はあくまでも1920年代に提起された新たな教育事業であり、民衆教育人材の育成に関する前例がなかった。当時の教員である童潤之は回想録の中で、「当時の江蘇省立教育学院の運営は、すべて中国社会の状況に即し、実践の中で模索して創造されたものである」15と述べている。教育学院はこのように前例も規定もない中で、自ら学科とカリキュラムの編成を模索した。彼は兪慶棠の次兄でもあった。演劇概論と電化教育の教員の中には、演劇理論家である谷剣塵のほか、大評判となった映画『新女性』の監督である孫師毅もいた。それ以外では、国内外の教育家による学術発表も活発だった。例えば、デンマークの民衆教育者であるマリクや、山東郷村建設研究院の院長である梁漱溟、また「国学大師」の章炳麟など、名高い教育者が教育学院で学術発表を行った14。教育学院はまず民衆教育と農事教育を基軸にして、民衆教育学系と農事教育学系という4年制の学科を設置した。実際の教育内容によって、民衆教育学系を郷村教育組、工人教育組、図書館組、健康教育組、社会教育行政組、芸術教育組、民衆科学教育組という7つの組に細分化し、農事教育学系を作物組、園芸組、牧畜組、農業経済組の4つの組に分けた16。組は現在の専攻に相当すると考えられる。一方、1930年代初頭からは民衆教育の推進にともない、民衆教育の人材不足が深刻だった。そのため、教育学院は実践人材向けの2年制の民衆教育専修科と農事教育専修科17を開設した。カリキュラムの編成に当たっては、まず、教育学院は教育部に認定された大学であるため、教育部の規定に準じて、教育部に指定された公共必修科目を開設した。それは、党義、軍事訓練、国文、外国文、自然科学、社会科学などの一般科目だった。次に、民衆教育・農事教育の内容は普通教育と共通する部分も多いため、普通教育の主な科目が開設された。例えば、教育概論、教育史、心理学、教育心理学、教育哲学、教育社会学、教育測定と統計、教育行政、教育研究法、初等教育、中等教育、師範教育などが挙げられる。また、民衆教育の目標は中国の社会問題を解決することであるため、中国当面の社会問題、即ち中国経済問題、中国農村問題、中国新教育の背景、地方自治、合作運動と組織などの科目が開設され、このような科目を通して、学生は中国の社会問題を分析し研究した。そして、新たな学術分野である民衆教育と農事教育の内容を体系化するため、民衆教育に関しては、民衆教育概論、郷村民衆教育、民衆教育哲学、比較成人教育、民衆学校、民衆教育館、民衆健康教育などの科目が設けられ、農事教育については、作物、牧畜、園芸、農業経済などの科目が開設された。さらに、民衆教育を行う際に、現場で即戦力となる技能の習得が必要であるため、農業技能については、稲作、麦作、養鶏、標本製作、気象観測などの科目が設置され、また工業技能のほうでは、電気の使用と管理、幻灯機用フィルムの作成、攝影、蓄音機の修理、無線通信の装置な113
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