25 NCDN, 1932-04-09, p.6参照。26 英語文献ではJames Giko Sakamotoの名で登場する。Gikoは義孝の音読みで自身が通称として用いていた。Yoshitaka及びその略記Y.で登場することもある。27 清水(2023)参照。28 同前。29 同前。30 “200 Attend Meet Of International Student Fellowship”, China Press, 1929-12-17, p.2.31 このときボールスは英国友会奉仕団(Friends Service Council)及び米国奉仕団の合同による東洋事情視察団(団長はホジキンの盟友として中国伝道に深く関わったHarry Thomas Silcock)から委託を受け委員として訪中した(基督友会機関誌『友』38号、1929-11-05, p.8「東洋事情視察団」参照)。32 ヴィクトリア大学図書館のウェブサイトにあるOnline Exhibit(デジタルアーカイブ)“Vic in China”の一章“1900s Edward Wilson & Mrs. Rose Cullen Wallace and Family”を参照(https://library.vicu.utoronto.ca/exhibitions/vic_in_china/sections/missionaries_and_mission_stations/1900s_edward_wilson_mrs_rose_cullen_wallace_and_family.html 最終閲覧日:2023年11月11日)。33 Thompson(2015)を参照。34 YMCA同盟機関誌『開拓者』25巻5号(1930年5月)p.41「同盟彙報」欄に「『今日の東洋』に於けるメージヤー・イツシユース[major issues]を知らむが為め来朝」とある。35 ペイジとエディは中国に続いて日本を訪れ、YM/YWCA関係者をはじめ、教育家、政治家、政府関係者(外務省亜細亜局長、情報部長等)その他、幅広く会談交流し、各地で平和宣伝の講演会も行った(『開拓者』25巻6号、p.44「同盟彙報」/YWCA同盟機関誌『女子青年界』27巻5号(1930年5月)p.16「近く来朝の二人のお客様について」を参照)。また、『読売新聞』1930年4月6日朝刊p.4に「平和運動者キルビー・ページ来る/戦争防止の道」の見出しで日本FOR副書記長T・D・ウォルサーの署名記事が掲載。翌31年6月4日付『読売新聞』p.4に「平和運動の融和会」の見出しでFORの活動を紹介する記事が掲載されたが、そこでも「平和論者のページ、エデイ氏等が盛に活動し始めた」と伝えている。36 “Annual Banquet Attended By 250: International Students Fellowship Meets At St. John’s”, China Press, 1931-03-01, p.2.37 “California, San Francisco Passenger Lists, 1893-1953,” database with images, FamilySearch (https://familysearch.org/ark:/61903/3:1:33SQ-G5GV-3Y?cc=1916078&wc=M6B9-6Z7%3A202157601:20May2014), 169-Feb 23-Mar 27, 1923>image 524 of 914) 最終閲覧日:2023年11月11日)。38 誠静怡については庾(2020)参照。39 NCC-China(1927)、前注36も参照。40 以上の他にISFで講演を行った林毅陸、O. R. Magill、Heinrich Rochollの3名に関しては現時点でFORとの関係は不明。MagillはNational Committee of YMCA Chinaのメンバーだが経歴など不明。“German Youth Movement”の題で講演したHeinrich Rochollも未詳である。41 同注11。42 このときのもう1名の講演者は広東で医療分野に活躍したWilliam W. Cadburyであった。Cadburyも基督友会所属であり、FORメンバーであった可能性が考えられる。また、同大会ではKirby Pageが帝国主義に関してレクチャーしており、こういった点からもFORとのつながりが窺われる。43 徐寶謙(1929:9)によれば「全国委員会」の筆頭で「研究団委員」を分掌。全国委員会の筆頭に挙げられており、書記長に相当する役職についていた模様である。44 友和会のあゆみ発行実行委員会編(2017)の1930年の条「中国FOR議長フランシスO(ママ)(ママ)105. T. ワン氏
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