註1 新聞報道等での漢字表記は「親睦会」「親善会」「懇親会」「聯歓会/聯歓社」「万国学生交誼社」2 友和会の歴史については日本友和会(JFOR)のウェブサイト(http://jfor.a.la9.jp/)、International Fellowship of Reconciliation(IFOR)のウェブサイト(https://www.ifor.org/)、及び英国FORのウェブサイト(https://www.for.org.uk/who/history/)を参照(最終閲覧日:2023年11月11日)。また、友和会(1931:6-7)に収載されたヘンリー・ホッヂキン「友和会の歴史」も参照。3 坂本義孝については石田(2007、2017)、古屋(2005)を参照。また、池田(1995)にも随所で坂本への言及がある。坂本義孝と妻の太代子がFORのメンバーであったとの証言は日本FOR事務局長だった高良(1983=1998)p.106による。また、坂本義孝・太代子夫妻とFORとの関わりについては清水(2023)も参照。ちなみに義孝・太代子夫妻の次男は国際政治学者であり平和学の分野でも大きな足跡を残した坂本義和(1927−2014)である。4 民国期の大学生活の実態解明に取り組んだ研究として、Yeh(1990)[中訳版:叶(2012)]をはじ5 「学生々活断片」は『受験と学生』13巻2号(1930年2月号、pp.124-130)所載「来るべき世界の核心へ:上海東亜同文書院紹介」(署名:東亜同文書院弁論部委員)のうち、p.125上段の小見出し「我等の大使命」以下を転載したものと見られる(著者の野村は本書の序文で本書の内容は『受験と学生』誌を参考ないし転載したものがあると断っている)。6 以下本稿における史料の引用では、旧字を新字に改め(ただし人名は旧字を用いる場合あり)、旧仮名遣いはそのままとした。省略は……、改行は/で示した。筆者による補注は[ ]で示した。7 名前の後の(1)・(9)は出典原文のママ。1期生・9期生を示す。さらに、4.3.2で紹介した帥雲風は、実は単なる坂本義孝の学生、一介の日本留学生ではなかった。朝日新聞最初の女性記者で、日中の間の草の根レベルの、特に女性どうしのネットワークづくりに尽力した竹中繁のもとに下宿して竹中らの「一土会」に参加協力し、さらに一土会を結節点として他の人物や組織(例えば婦人平和協会や、羽仁もと子の自由学園と『婦人之友』等)にまでも反戦・平和運動のネットワークは拡がりを見せていた。今後引き続きFOR以外の多種多様な団体・個人による反戦・平和運動との横の展開も視野に入れた「面的」ないし「立体的」な研究が進められねばならない52。本研究の文献調査に当たり、特に下記の諸機関・関係者の皆様にたいへんお世話になりました。日本友和会、基督友会日本年会、恵泉女学園史料室、神戸女学院大学図書館、同志社大学神学部図書室ならびに人文科学研究所、北海道大学附属図書館ならびに北図書館、早稲田大学図書館。また、竹中繁科研[課題番号:21K12516]の研究会(2023.8.12)で本稿のアイディアを発表した際に参加メンバー各位から貴重なコメントをいただきました。記して深い謝意を表します。103[謝 辞]等のバリエーションが確認されているが、本稿では「親睦会」を以て総称とする。めとする研究史上の系譜に位置づけられる。ISF自体のドキュメント、ISF及び書院の関係者の残した記録(日記、書簡等を含む)、またFOR側の文書(公開の刊行物のほか、会議録やプライベートな書簡、日記等を幅広く含め)の探査とそれらによる検証が必要である。
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