102帥雲風はISFにまつわるエピソードを人生の決定的な瞬間として語りながら、そこにFORのReconciliationをいわば暗号のように忍ばせたのではなかったか──。いささかアクロバティックな読み解きかもしれないが、一つの〈推論的仮説〉としてここに提示し、大方のご批正を仰ぎたい49。ここまでの本稿の論述を簡単に振り返る。まず1章の問題提起に続き、2章で先行研究のレビューと研究対象とする史料について確認した後、3章でISFの目的と歴史的展開、具体的な活動の実相を、主に講演会にフォーカスして明らかにした。そして4章では、その講演者と講演テーマの詳細を掘り下げ、創設期と再出発期にISFを支えた人々のプロフィールを探り、あるいは参加学生の手記を読み解くことにより、ISFの人的ネットワークが、書院の教授でFORの有力メンバーであった坂本義孝を結節点とする形で広がっていたと見られることを確認し、ISFの活動がFORを軸とする国際的な反戦・平和運動の一環として位置づけられるものであることを浮き彫りにした。特にISFは、YMCA/YWCAがキリスト教の団体であることを前面に出していたのと異なり、あくまでも学生の親睦団体として活動を行っていた。ノン・クリスチャンの一般学生の誰もが気軽に参加できるイベントを開催することにより、クリスチャン以外への接触面(インターフェイス)を拡大することが期待されていたのではないかと考えられる。宗教的ないし信仰的なバックグラウンドを問わず、そうした側面をおもてに出さないこと(若干強めの言い方をすればカモフラージュ50)により、個々人の意思に基盤を置きそれを互いに尊重するような、ある意味「ユル教派的な、FOR式51とも言える──人々のつながりが目指されていたように思い」──まさに超われるのである。本研究の限界ないし課題として、1次資料(ISFの会報や刊行物、会議録等)の不足という制約条件から、いわゆる状況証拠を積み重ねる形での推論に基づく仮説を提示したに留まる。今後エキュメニカル5.結 論5.1 まとめ5.2 本研究の課題と今後の展望ISFはこれまでほとんど注目されることなく、書院に関する研究でも管見の限り取りあげられることはなかった。先行研究では青年学生の社交──男女交際の場として言及されるに留まっている。しかし書院の1期生で中華学生部部長もつとめた書院のスター教授坂本義孝との関わりに着眼し、反戦・平和運動の文脈から光を当てなおすことによって、ISFがFORの国際的平和運動ネットワークの一つの舞台であったことが浮かび上がってきたのであった。このことのもつ歴史的意義は小さくないと言えるだろう。ISFは1924年からおよそ31年末ころまで、途中4年近くの休止期間をはさんだため、実質的な活動期間は決して長くはなかった。しかし戦雲が暗くたれこめつつあった時代の中で、社交と、同時に多民族の平和共存への思いを平和的手段によって共有し拡大しようとする平和教育のグラスルーツが日中米欧の間に育まれていた歴史とその意味は、今なお噛みしめられるに値する。
元のページ ../index.html#108