り口から遥かに遠いところに設定され──この日上演された寸劇“Crowning of Peace”[平和の戴冠]には観衆一同感動に打たれ、誰もが狭隘な偏見を忘れ、一人一人の顔には兄弟愛姉妹愛と思いやりが満ち溢れたと書かれており──、それが国籍の別を超えた精神のハーモニーを体現していたと、ハイブラウな英文で記されていた。そして、この投稿で特に注目されるのは、ISFの活動を明確に非戦・平和の文脈に位置づけてその存在意義を説いていた点である。いわく、「戦争という手段により平和をもたらそうとするやり方はこれまでずっと無駄な試みであった。今や平和的手段による平和の時である。ISFはまさにその方向性への努力なのだ。平和は学校から始められねばならない。言い換えれば、平和は教育的なプロセスであり、一つの、ゆっくりとした成長である。……ISFは世界平和の中核なのである46」と。この投稿は、誕生したばかりのこの平和の種を、われわれ若い世代の手で中国全土そして世界全体へと生い茂らせてゆこうと高調して締めくくられていた。ここにはFOR関係者の名前が登場するようなことも全くないが、第一次世界大戦の際に世上よく見られた「戦争を終わらせるための戦争」云々のスローガンに断固としてノーを突きつけ、ホジキンらの主唱により超教派のクリスチャン系国際NGOとして誕生したFORの主張47とぴたりと重なり合う主旨が力強く示されていると言えるだろう。もう一人、書院で坂本義孝の深い薫陶を受けた帥雲風という学生が、上海から日本に留学して間もない時期に、みずからの来歴を振り返りつつ、「東亜の平和」「日支[日中]の親善」に邁進せんとする思いを書き綴った手記がある。ISFはその冒頭で言及されていた48。ある日、上海で国際親睦会、I.S.F.が開かれようとした際、たまたま5月9日[日本政府の「21ヶ条要求」を大総統袁世凱が受諾した日。「国恥紀念日」として排日運動の象徴となった]に当たり、ために延期になってしまった。私は日本の友人岩村君にこう言った。「今日の親睦会だが、我が国の国恥記念のために延期になって、とても残念に思う」と。すると岩村君は晴れやかな顔で私を見つめ返して言ったのだ。「自分はこの日(Humiliation Day)を修好の日(Reconciliation Day)に変えたいと、いつも深く願っているよ」と。そう聞いて私は慚愧と同時に、一つの思いに打たれた。東亜に和平を打ち立て、親善の実現をはかり、人類の友好そして世界の大同[平和]をもたらす事業は、ひとえに私たち日支[日本と支那(中国)]の目覚めた青年の提携にかかっているのだ。まったく岩村君の言うとおりではないか。私の日本行きは、かくして決断されたのだった。帥雲風の熱い思いがこの日本語訳文で伝わっただろうか。そして、この文章の注目すべきポイントは、上海の「国際親睦会、I.S.F.」[原文のママ]を文章冒頭の最も印象的なエピソードとして取りあげ、わざわざカッコ内に英文を注記する形でHumiliation DayをReconciliation Dayに変えるべしと書き記されていたことだ。I.S.F.のFはもちろんFellowshipであり、それにReconciliationの語を続けて出せば、これはもうFORではないか。1014.3.2 帥雲風(東亜同文書院)のエピソード
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