教育評論第38巻第1号
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44444てみたい。あったわけである。続いて、ISFの再興を牽引したクリスチャン・リーダーたち(本稿3.5)について確認しよう。王春涛(Francis C. T. Wang)は上海YMCAの幹事として活躍した人物であるが、実は中国FOR「唯愛社」の幹部役員でもあった43。1930年には中国FOR議長として来日し交流を行ったようである44。フランク・ローリンスン(Frank Rawlinson)はChinese Recorder(中文誌名:教務雑誌)の敏腕編集長として声名が高かったが、本稿4.1.6で見たごとく、中国FORメンバーであり、1927 年 8 月上海の「キリスト教経済会議」でも熱弁をふるっていた。以上に見てきたように、ISFの再出発を推し進めた3名はいずれもFORの正式メンバーであった。設立期を支えた2名もFORとのつながり(正式メンバーであったかどうかは現時点でいまだ未確定であるが)が確認された。ISFの中核は坂本義孝とその身近にいたFORメンバーに支えられていたと言ってよく、そうであったればこそ、講演者の過半数がFORメンバーないしそれと親しい間柄にあったものと考えられる。ここまでISFとFORとの関わりについて検証してきた。坂本義孝をはじめとするリーダーの顔ぶれや、講演者の人選、講演テーマ等から総合的に判断して、ISFがFORの平和運動と密接に「連携」していたであろうことはほぼ確実と思われる。その一方で、ISFが「FORの指導下にあった」ことを直接的に示す証拠があるわけではない。2.3で見たとおり、FOR自体の内部文書や公刊資料が未入手という条件のもと、本研究は主として新聞記事を用い、ISFの活動がFORメンバーに支えられていた様子に光を当てる手法を取ったわけである。ここで別の角度から──運営者や講演者といった上からの視点に代えて──参加者の側にアプローチすることで、ISFの性格とFORとの関わりを、より立体的にあぶり出しまずはHsu Meng HsungというShanghai College(滬江大学)の学生の新聞投書記事を取りあげたい。China Pressの主筆宛の書簡である45。先行研究(Au-Yeung 2007)が主としてセントジョンズ大学の年刊(Johannean)掲載記事を用いてISFが男女交際の場としての性格を帯びていたことを指摘したのとは対照的に、Hsu Meng Hsungの投稿にはそういった話題が片鱗も見えないのが特徴的である。もちろん、ISFの集いが数々の魅力的なエンタテインメントに彩られていることは、この投稿でも大きくクロースアップされていた。しかし、その言説の水準はゴシップ的な語1004.2.2 再興期──王春涛、Frank Rawlinson4.3 参加学生の視点から4.3.1 Hsu Meng Hsung(Shanghai College)の新聞投稿Maxwell Slutz Stewartは1923〜25年Shanghai American Schoolに勤務、26〜30年北京の燕京大学で社会学の教授をつとめた。基督友会所属のクェーカーで、Kirby Pageが編集長をつとめていたFOR機関誌World Tomorrowの1934年3月号に “Stop the Next War!” を寄稿していることなどからFORメンバーと見られる。

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