94 書院のYMCAもこの親睦会に参加したまではよかったが、何しろ仲間の大学には中西女塾[英文校名McTyeire School]、セント・ジョーンズ[St. John’s University]など金持ち子弟の学校が多く、書院の学生会館で開く座談会では、オンボロピアノで大恥をかく場面があった。その後もYMCAの活動は続けられ、相次ぐ戦乱、排日運動の激化の中にあって、国際的な日中学生の交流が続けられたことは、書院史の一面を物語るものとして記録に残されるべきものだろう。ここでは、YMCAが学友会に属さない非主流のサークルであり、格別目立った活動はなかったと、一定の留保をつけながらも、そのなかで書院がISFの活動に参加したことに特に言及し、締めくくりとして「相次ぐ戦乱、排日運動の激化の中にあって、国際的な日中学生の交流が続けられたことは、書院史の一面を物語るものとして記録に残されるべきもの」と、肯定的な評価がなされていた。このように、書院史に記された歴史的評価は、先行研究や受験案内書での紹介文から窺われたような男女学生の社交場としてのイメージとは、若干色あいの異なるものに映るであろう。このズレを果たしてどのように捉えればよいだろうか。その検証のためには、より多くの1次資料の探査と検証を試みる必要がある。答えを先取りして言えば、上に見た書院史の歴史的評価は、以下にたどられる検証に照らして首肯できるものであった。そして、さらに言えば、「相次ぐ戦乱」の中、ISFによって継続された国際的な日中及び米欧その他の国家・民族の間で行われた学生の交流は、オンボロピアノ云々の自己戯画化的表象にもかかわらず、FORを主軸とする国際的な反戦・平和運動のネットワークと密接に連動して展開されたのであった。上記の検証のため、主な1次資料として、1924〜32年の期間9、上海で発行されていた下記の英文・中文の日刊紙を用いる。( )内は英字紙の中文紙名、及び本稿で使用する略号を示す。この他、キリスト教関係を中心に、当時発行されていた中文・和文・英文の雑誌も対象とした。また、書院で坂本義孝の学生であったISF参加者(帥雲風)の手記で簡単に触れられており、考察の章(4.3.2)で取りあげる。2.3 1次資料China Press(大陸報)China Weekly Review(密勒氏評論報)North-China Daily News(字林西報:NCDN)North-China Herald and Supreme Court & Consular Gazette(北華捷報:NCH)Shanghai Sunday Times(泰晤士報)申報民国日報時事新報
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