しかし、基本的には大きく変える必要はないと考える。中国古典文学も、英文学、フランス文学等の他の文学と同じで、外国の文学を扱うという観点で行えばよいのではないだろうか。高等学校まで漢文は、国語教育の中で扱われるが、生徒にとっては英語以外の外国語との出会いでもある。事実、「漢文」の授業で中国語や中国文学に興味を持ち、大学の中文系に進学する生徒もいるのである。こうした楊貴妃伝説を調べることは、「長恨歌」の日本文学における受容過程への影響を深める学習になるのではないかと考える。従来のように、「長恨歌」が『源氏物語』に与えた影響を教科書で学ぶ一方、楊貴妃伝説等の調べ学習を取り入れることで、生徒の興味を喚起し、古典の主体的な学びに繋がる可能性がある。楊貴妃伝説だけではなく、その他にも自分たちの地域にはどんな伝承があるのか興味を持つようになるかもしれない。実際、「地域探究学習」は「総合的探究の時間」のテーマにもなっている。そうした学びが、生徒の、伝統文化の担い手としての自覚を促すことになるだろう。日本文化は、古来、中国文化と密接に関わり合いながら発展してきた。「日本漢文」は、その関わり合いの中で、中国古典作品と日本文学を繋ぐ役割として位置付けられるだろう。生徒が「日本漢文」を学ぶことにより、現代日本への理解が深まるような授業を目指したい。グローバル化が一層加速する現代にあっては、ただ現代日本への理解にとどまらず東アジアの中の日本へと視野を広げていく必要もあるだろう。令和の時代、その元号の由来となった『万葉集』が注目されている。『万葉集』と言えば、生徒は万葉仮名で書かれていると考えがちだが、和歌以外の散文(和歌の由来や内容を説明している文章)は全て漢文で書かれている。「令和」も、その漢文の中から抜き出して考案された。和歌以外を漢文で書いたのは、韻文である和歌は万葉仮名で表記できても、散文ではさすがに無理があったからであろう。日本独自の万葉仮名と元来中国の文語文である漢文を兼ね備えている時点で、すでに『万葉集』自体が東アジアの中の日本を体現化した歌集であったと言えよう。前述のように、協議の場でも「古文」とは何か議論されたが、従来、「万葉集」は教科書でも授業でも「古文」として扱われてきた。今後も基本的には「古文」として扱われるだろうが、文体で区分するとなるとどうなるのだろうか。また、「古文」と「漢文」を融合させた授業を行った際、生徒が「古文」の授業なのに「漢文」を読まされたというような感想を持たないようにするには、どのような工夫が必要だろうか。「言語文化」や「古典探究」といった新設科目では、まずは教える側の常識から再考する必要があり、この点については今後の課題として更なる研究 90⑷日本における楊貴妃能の詞章(台本)である謡曲に「楊貴妃」がある程、日本人は「楊貴妃好き」なのだと思われる。協議の場では、山口県長門市の二尊院22や名古屋市の熱田神宮には“楊貴妃の墓”が伝わることや、京都東山区の泉涌寺には「楊貴妃観音」が安置されていること、更には楊貴妃に因んだ「楊貴妃桜」という桜の品種があること等が話題になった。そこには、弱い立場の者の味方をする日本人の「判官びいき」の資質が見られる。7.おわりに
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