6.研究協議 88しげやまとうたは、人の心を種として、万繁(現代語訳:やまとうたというものは、人の心を種にたとえると、そこから芽が出て無数の葉となったものである。世の中に暮らしている人々は、様々な出来事に絶えず触れているので、その心に思うことを見たこと聞いたことに託して言い表したのがうたである。)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。教科書では、『詩経』「大序」と『古今和歌集』「仮名序」を比較して共通点や相違点を分析し、詩や和歌の本質と役割という観点からまとめるというような学習活動が設定されている。それぞれの冒頭を見れば、生徒にとっても共通点の指摘は比較的容易だと思われる。「大序」に「在心為志、発言為詩(心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す)」とあり、「仮名序」に「人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。」とあるように、心の中にある感動が言葉に表現されて詩や歌になるのだから、どちらも自然発生的なものという点で共通している。一方、相違点を見つけるのは難しいかもしれない。そこで教科書では〈アドバイス〉として、「大序」にはあるが、これを典拠とした「仮名序」からは削除された内容はないか分析するよう促している。おそらく、「治世之音、安以楽。其政和。乱世之音怨以怒。其政乖。亡国之音、哀以思。其民困。(政治が治まっている時の音が安楽なのは、その政治が調和しているからである。乱世の音が怨怒を含んでいるのは、その政治が道に背くからである。亡国の音が哀しみをたたえているのは、その民が苦しんでいるからである。)」を削除した部分として指摘し、そこから詩は政治な役割を果たしているが、和歌にはそのような役割はないという結論に導く意図があると思われる。確かに、「大序」が「治世之音、安以楽。……」と述べるのは、民の本音の発露である詩を採取して、為政者の政治に反映させてきたという歴史的文化的背景があるからである。しかし、このことによって詩の作られた目的は全て政治的意図にあると考える必要はない。事実、「大序」の冒頭では、「心の中で感情が動けば、自ずと言葉にあらわれる。言葉で表現しただけでは足らなければ、これを慨嘆(ため息)し、慨嘆しても足らなければ、更に長く声を引いて歌う。歌ってもまだ足らなければ、そのまま覚えずして手が舞い、足が舞を踏む。」と、古代歌謡の素朴さ、大らかさも述べている。これは生徒からすれば論旨が矛盾しているように見えるかもしれない。現代的な「論理的思考」からすればそう捉える可能性はあるが、ここでは詩の多面性を述べているのだと解しておく。したがって、詩と和歌の本質という観点からまとめる際には、「詩は政治的な目的で作られるが、和歌は却って政治的なものから離れようとする」という二項対立で捉えないよう留意する。本節では、筆者が口頭発表した今次「学習指導要領」の改訂のポイントと新設科目における教材の扱い方等に対して行われた協議の内容や、そこで提示された課題及び疑問点を挙げる。また、それを踏まえた筆者の見解も述べていく。よろずの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ、
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