早稲田教育評論 第37号第1号
82/228

73) 同上、36、37、39頁。74) 「学童身体検査」『富山日報』1921年8月17日、2面。なお、「栄養」は児童の栄養状態を甲・乙・丙の三段階で評価する指標である。75) 富山市『富山市立小学校児童身体検査比較統計表』1921年、1枚。76) 富山市小学校、前掲、37-38頁。77) 同上、38頁。78) 同上、40頁。79) 附属小学校、前掲、34頁。80) 中田、前掲、6頁。81) 附属小学校、前掲、39頁。ただし富山市視学は、財政上の課題から、通学式の「林間学校」を普及させるべきとの見解を示している(前掲記事『高岡新報』1921年8月10日、1面)。82) 鹽谷安太郎「林間教育に関する研究」『富山教育』188号、1929年、15頁。83) 「太田濱のいく日」『北陸タイムス』1922年7月7日、3面。「師範附属の小学生達が今朝太田の濱へ」『高岡新報』1922年7月21日、3面など。84) 「林間学校の効果」『富山日報』1922年8月16日、5面。富山市総曲輪尋常小学校『大正十三年昭和十年十二ケ年 林間学校経営の実際』1936年。他に大山村など山間部の小学校も氷見郡で「臨海学校」を開始したと報道されている(「大山村の児童を臨海生活せしむる」『北陸タイムス』、8月1日、5面。「仏生寺児童の臨海教授」『北陸タイムス』1922年8月19日、3面)。85) 「暑中休暇を利用して臨海児童大学」『富山新報』1923年7月15日、2面。86) 拙稿「大正末期の東京市における林間学校─「御殿場夏期林間学校」と「佛蘭西寄贈病院」─」『早稲田教育評論』第22巻、2008年、23-42頁。76

元のページ  ../index.html#82

このブックを見る