38) 附属小学校、前掲、9-10頁。39) 同上、7及び14頁。40) 同上、13-15頁。41) 同上、9頁。42) 中田、前掲、1-6頁。43) 附属小学校、前掲、13頁。44) 同上、12頁。45) 一方で、『高岡新報』の報道によれば、山崎学校衛生主事の発言として「附属小学校の児童は高級官吏、富豪等の上流家庭の子女が多く普通の小学校の児童に比せば体質は余り良くないのが多いから」とあり、当時の富山県内では、富裕層の児童の体質が虚弱傾向にあると認識されていたとも考えられる(「児童の体重が平均二百匁殖えた」『高岡新報』1921年8月3日、3面)。46) 附属小学校、前掲、11頁。なお、記事によれば、その内訳は6円が食費、1円が交通費及び雑費であった。また、他に藁布団の代金として1円を徴収している(布団は後で各自に返却)。47) 「附属校の臨海教授は太田海岸で開催」『富山新報』1921年7月17日、3面。48) 拙稿、前掲、2021年、8頁。49) 附属小学校、前掲、19-20頁。50) 同上、26頁。51) 「臨海教育記(六)」『北陸タイムス』1921年8月6日、3面。文中の■は判別不能を示す。 52) 附属小学校、前掲、19頁。53) 鈴木ゆづる「臨海教育を見て(三)」『富山日報』1921年8月14日、3面。54) 富山県教育会『富山県教育法規』1928年、733-734頁。55) 同上、734頁。ただし、教第580号通牒では、学年末の休暇中は規制の対象外となった。56) 前掲記事、『富山新報』1919年8月27日、3面。57) 附属小学校、前掲、20頁。58) 「臨海教育記(三)」『北陸タイムス』1921年8月2日、3面。59) 附属小学校、前掲、27-29頁。60) 同上、29及び33-34頁。61) 「児童の体重が増えた」『富山新報』1921年7月30日、3面。62) 前掲記事、『高岡新報』1921年8月3日、3面。63) 「臨海学生出発」『富山新報』1921年8月4日、1面。 64) 前掲記事、『富山新報』1921年7月19日、2面。65) 富山市小学校「大正十年度 臨海教育の実際」『富山教育』第94号、1921年、35頁。66) 前掲記事、『富山新報』1921年7月19日、2面。67) 前掲記事、『高岡新報』1921年8月10日、1面。ただし、7月2日時点の報道では、費用は50銭で不足分は県と市から補助を出す予定であった(「市内小学校の臨海教授」『北陸タイムス』1921年7月2日、3面)。一方で、7月19日の記事では、参加費は7円とあり、財政難により参加者の費用負担を重くせざるを得なかったと考えられる(前掲記事、『富山新報』1921年7月19日、2面)。68) 富山市小学校、前掲、36頁。69) 費用の額から、貧困に起因する虚弱児童ではなく、富裕層の家庭の虚弱児童と考えられる。70) 富山市小学校、前掲、36頁。71) 同上、38頁。72) 同上、36頁。75
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