早稲田教育評論 第37号第1号
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70先ず、目的や活動内容から考えると、両実践とも水泳練習や海浜の競技を中核に位置付けるとともに、近隣の史跡や自然環境の見学、植物の採取、スケッチなど、自然環境や地域に特有の各種教材を生かした活動が展開されていた。欧米型の実践を一定のモデルとして実施しつつも、独自性や固有性をもつ「林間学校」としての性格が確認できるといえる。また、活動状況や成果が幅広く共有された点も、両実践の特徴として挙げられる。本論文で分析の対象とした教育雑誌『富山教育』で実際と成果が紹介されたほか、『富山日報』『北陸タイムス』等の地元紙でも、実施準備から終了後の成果まで定期的に報道されていた。このため、臨海教育への注目が集まると共に、その成果が地域内で広く共有されることになった。さらに、両実践には多くの参観者が訪れていた。たとえば、附属小学校の報告では、参観者の人数も掲載されている。それによれば、10日間の間に保護者23名、教員52名、学事関係の官吏22名、記者5名の計102名が訪れており、一定の注目を集めていたと考えられる79。特に、教員の参観者が多く、県内の他の小学校にもその実践の様子が伝えられたと推察される。附属小主事の中田も、臨海教育を実施した感想として「今後何等かの方法を以て或団体等が適當の海岸に此種特別施設、例へば県営臨海教育場の如きものの実現を衷心希望するものである。」と述べ、県営の「林間学校」の実施場所を開設することを主張するなど、その実施の必要性を実感する機会になったといえる80。同様に、市内各小学校の報告でも「要するに今日は臨海教育の効果云々を論ずる場合でなく、如何にせば一層の効果を挙げ得べきかが問題である。」と述べ、さらなる拡充の必要性を主張している81。結果、富山県内では、1921年度の臨海教育を契機として、翌年度以降は、さらに多くの学校で「林間学校」が実施されるようになった。たとえば、富山県学務課による『社会教育に関する調査 第2輯』に掲載された夏期体育施設の内、1922年度に実施された臨海教育・林間教育をまとめると表3のようになる。表からも分かるように、1922年度には、富山県内の各小学校により、一定数の臨海教育・林間教育が実施されるようになっている。また、射水郡二丸小学校長は、同校が1922年に実施した林間教育について、「従つて実施具体案の作製には随分困難を感じた。計画立案にも苦心した。或は書籍により、或は先輩実施学校への照会により、職員会を開催すること数回、漸くにして稍々安心するに足る実施案を得て父兄の諒解を求めた」として、21年度に先行的に実施した学校の教員から助言を求めたことを述懐している82。さらに、附属小学校においては、1922年度以降も実践を継続したほか83、富山市内の各小学校の中にも1922年度乃至は23年度に、単独で「林間学校」を実施する学校が出てきた84。また、附属小学校では1923年の「臨海教育」を「臨海児童大学」の名称で実施し、内容もさらに体験的な学習としての性格を前面に出すなど、1921年度の実践を基礎により計画が拡充されている85。このように、両実践を含めて、1921年度に複数校が実施した試行的実践は、富山県内における「林間学校」発展の契機となった実践として位置づけることができ、同県の「野外における教育」の史的展開においても重要な実践と考えられる。また、国内の「林間学校」の発展史における両実践の位置付けはどのようであろうか。「はじめに」でも述べたように、大正期の「林間学校」は、貧困層の虚弱児童向けに、養護を主とした教育活動として実施することが政府により奨励され、同時期の大都市圏では、虚弱児童向けの大規模な実践が実施されている86。一方で、富山市内の両実践は、予算不足により参加者が富裕層

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