表2 富山市内各小学校「臨海教育」日課時間6時10時12時半〜14時15時17時18時20時注、『富山教育』第94号(1921年)記事より作成。起床、寝具の整頓、掃除、朝食水泳、昼食午睡水泳入浴夕食就寝とする日課となっている。水泳場は、附属小の施設に類する形態の施設を設営しており、二重に網を張るなど児童の安全に配慮した設備であった。水泳の練習は、10時と15時の2回実施された。ただし、練習方法は特に定めず、自由に泳ぎの練習をする方針であった。その様子を報告では以下のように記載している70。 練習方法は別に定めない、各自勝手である、泳ぐ者、飛込む者、砂遊び、蟹掘り、人手を拾ふ、貝を掘る者。さては縞鯛、河豚等の小魚漁りに余念もない。最初二三日は多少泳ぎの心得あるものでも、第二線内で恐る恐る練習する泳げないものは浮嚢に縋つて練習して居たが、五日六日目頃になると泳げるものは大抵二線外へ出る、浮嚢組も浮嚢を離れて泳げるやうになつた。非常に早い熟練である。児童らが自由に練習する様子や、当初は泳ぎが苦手な児童が、練習を経て上達する様子が描かれている。また、児童の上達を教員らが評価していたことも分かる。さらに、最終日近くの9日目には、水泳大会が実施された。その様子は以下のようであった71。 午前十時陸上競技の相撲から始まる。天幕の下に綱引きの綱を輪にして砂を盛つて急造の土俵が出来た。青組緑組が東赤組黄組が西で、二人抜き三人抜き五人抜きと番組が進み両方共熱狂する、それが終ると水中競技となる。水中徒歩、筏落し、飛込速泳ぎ、水中宝拾ひ、水泳競争等、互に優劣を争ひ、プログラムは再び陸上綱引きとなつて終り十二時万歳を三唱して宿舎に帰つた。此の日水泳競争に於て西田地方校村井の八百間、八人町校石橋の六百間、清水町校の岡田の五百五十間の遠泳ぎは一同をして嘆賞せしめた。このように、附属小学校と同じく、水泳大会では、水中での競技のほかに、陸上での相撲や綱引き等が実施された。また、水中では「飛込速泳ぎ」や「水泳競争」など、「互に優劣を争」う種目が中心であった。さらに、児童によっては五百五十間から八百間(約1〜1.5km)と長距離を泳ぎ得たものがいたことが分かる。児童の様子については、「九日目の水泳大会には、最初泳68活動
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