これらの記述や報告からは、参加児童らが思い思いの学習活動を展開していた様子が窺える。大正期には受験競争が激しくなり、過度な学習を課すことに批判が集まっており、「林間学校」においても、児童の教科学習を制限することが奨励されていた。富山県内でも、1913年3月に「小学校課外教授ニ関スル件」(「教第383号」)が通牒され、「中等学校入学志望者ニ對シテ課外教授ヲナスコトハ弊害尠カラス候」として、1週間に2時間以上の課外教授を禁止するなど、受験準備のための教育が制限されていた54。また、同年3月の通牒「教第580号」によれば、教第383号は「児童ノ負担重キニ過キ為メニ心身ノ発育ヲ害スル等ノ弊害ヲ認メ」たため、これを制限する趣旨で通牒したという55。同時期には、富山市内の小学校長の談話として「小学校の夏期休業は云ふまでもなく児童の体育を主とすべきもので徒らに学課をいつものやうに八釜しく詰め込むべきものでないことは今更言ふ程の問題でもない然るに世間には往々此見易い道理を辨なへい(ママ)で無暗に児童智力に就て鹿爪らしいことを言ひ立てる人がある」とも報じられており、夏期休業は、学科の学習よりも、体育や健康増進に適した季節と考えられていたことが分かる56。附属小の臨海教育でも、同様の方針により、教科学習ではなく、児童の主体性に任せた学習活動が展開されたと考えられる。その他、衛生・健康関連の活動としても、学習的な効果が期待された。たとえば、「身体検査」についても、児童が自分の身体について、特に体温や脈拍や体重に関する知識を体験的に学ぶことができるなど「彼等生涯の効果」を得る事ができたとする57。 がし海を圧して起こる、斯うして大会も終りました」と報道されている51。周知のように、虚弱児童向けの養護中心の「林間学校」では、海水に浸かる海水浴が推奨されたが、長時間の遠泳や競技が実施されるなど、活動内容は大きく異なっていた。また、水泳練習や水泳大会の実施状況からも、参加者の多くが虚弱児童ではなかったことが推察される。その他の日課としては、表1に示したように、午前中に短時間の自習(学習)を実施したほか、庭球や野球などの運動、十六武蔵、トランプ、蓄音機、唱歌などの休養的な活動、校医の診療、体重測定、検温、脈拍の測定など衛生的な活動も実施されている。学習の方針としては、「温かい打解けた生活、そこから湧く純美な人間味を掬して教育にしたい」とも述べており、「鹿爪らしい講話や、画一的な復習の強要は企てなかった」という。実際には、「早朝三脚を持ち出して写生に没頭するもの、家庭への通信に畢生の鉛筆を振ふもの、日誌をものするもの、好きな書物を繙くもの」があり、「思い思いに籠めた全我の力は素晴らしい成績を生んだ」のであった52。臨海教育の参観者は、その様子を次の様に報告する53。 朝の水泳が始まるまで少年と少女は大抵書物に読みふけりました。彼らの或ものは三脚をかついでスケッチに出かけました。又或ものは親しい父と母と姉と兄との許に海の報せの小さな葉書の文句を書きつゞけました。出来上つたスケッチや又は短い葉書の文句は到底大人の王国に住んでゐるものにとつてうかゞひみることも覗きみることも許されなかつた程の天真と真面目さと力一ぱいにみちてゐたものでありました。食事については、楽しく食事を摂ることや、食事の配膳などを通じて体験的に学ぶことを重視していた。その様子を『北陸タイムス』は以下のように報じている58。65
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