上の記述からは、観海流の泳法の練習や、水遊びが中心であったことが分かる。また、多くの児童が泳げるようになったほか、同記事では、「九十分の遠泳に耐えて余裕尚綽々たるものがあ」ったことも報告されるなど、長時間の遠泳を達成した児童もいた。6年生男児、3・4年生男児、女子児童の3グループに分けて実施した。報告によれば、当初は、泳げる児童は比較的に少数であったという。水泳の様子は、以下のように報告されている49。 指導者は先づ一隊を率ゐて関節運動をさせて水中に導く。観海流の泳法によつてその泳ぎ方を指導した。第二の指導者は次の一隊を率ゐて同様に指導する。汀に打寄する波と戯むるる者もあれば、大ボールにつかまつて沖合に浮び出るものもある。一方には浮箱に蝟集し、他方には飛込台に群がる。彼らの水中活動は只嬉々として時の移るを覚えなかつた。 十日間の練習は大日本海征服の感が彼らの自信であつた。男の子等は大半泳ぎ得る様になつた。幼稚な子供や女の子供も恐ろしかつた海が面白いものになつた。さらに、9日目には水泳大会も実施されている。プログラムは、「旗取り」「源平鬼事」「二百米」「輪くぐり」「野外デットボール」「ボール送り」「源平場所割」「綱引」「源平相撲」「水中徒歩競争」「遠泳」「城攻め」「桃拾い」等で構成され、水中での競技・遊戯のほか、陸上での競技・遊戯も実施された50。水泳大会の様子は、『北陸タイムス』でも「大会は愈々茲に始まりました、先づ「遠泳」では尋六の山本健二クン■九十分のレコードをつくり、既に雨晴らし付近へ押し行つて余裕綽々たるものがあつたけれど監督者の方で根気負して船へあげ、吉田和一郎、久保田直信、今村清春などの少年は何れも八十分乃至九十分を泳いで元気毫も衰へず、一方には「桃拾い」「筏落とし」「水中徒歩競争」濱では相撲、駆くら、綱引などが演ぜられ、歓呼喝采陸をゆる 64表1 富山県師範附属小学校「臨海教育」日課時間6時7時8時〜9時9時10時半正午14時〜15時半16時17時18時〜20時21時21時半注、『富山教育』第94号(1921年)記事より作成。起床朝食、校医の診療(体温・脈拍)自習水泳練習間食散歩及び運動、昼食、午睡体重測定、水泳練習間食入浴夕食、散歩及び運動、体温・脈拍測定就寝消灯活動
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