2.富山県師範学校附属小学校の「臨海教育」(1)臨海教育の概要、目的、参加児童の特徴える32。具体的には、平米町校では、学年別に近郊六里以内で半日旅行を数回実施する予定であり、博労町校では朝起会や近郊遠足数回を計画、宝塚町校では、4年生以上の有志を対象に、毎日夜明け前に射水神社参拝、公園広場で体操を実施予定、油町校では、6学年男子を対象に休暇中毎朝、授業2時間を実施する他、川原町校では、10日間続けて半日の耐熱旅行を実施する予定であった。このように、富山県内では、「林間学校」やその代替となる活動の必要性が一定程度共有されており、こうした意識も県内初の臨海教育の実施を後押しすることになったといえる。本節では、1921年に富山県師範附属小学校(以下、附属小と略記する)が実施した「臨海教育」について、主に『富山教育』第94号33掲載の記事を参照して実施状況を明らかにする。附属小の臨海教育は、1921年7月21日から30日までの10日間にわたり、氷見郡太田村の雨晴駅と島尾駅間に位置する海岸で実施された。附属小の教員らが臨海教育について報告した記事では、太田村の特色として「海水清澄水温適度にして潮流極めて緩し」「遠浅にして海岸より五十間位沖まで水深四尺」「海底は一面細かな砂地で危険物無し」「俗界を隔り活動自由」「汚水の流入無く衛生上極めて有利」「物品の需給容易にして運搬に便なり」「附近に山林田畑多く生活に変化を添ふ」「名所旧跡所々に多く遠足・研究に便なり」などと指摘している34。また、同記事では太田村の地域的な特色の総括として「位置と云ひ、海底海水と云ひ、衛生上の問題と云ひ、風紀と云ひ、心持と云ひ児童の臨海教育場としては誠に誂向の所であつた」とも述べており、海岸や海水の性質、安全性や児童の生活・学習上の利点、衛生面、風紀などを重視して実施場所を選択したことが分かる。ただし、「近くに医師の便なし」ともあり、医療機関が十分でなかったことも窺える。新聞報道によれば、当初は四方町の四方海岸での実施が有力であったが、海浜の衛生面に課題があり35、太田村での実施に決定したという。この事から、条件の中でも、特に海水や海浜の衛生面を重視していたとも考えられる。後述するように、活動の柱は水泳であったため、海水や海浜の衛生状況は無視できなかったといえる。また、医師の便がない状況は、県の学校衛生主事の出張により補っていたと考えられる36。宿舎は太田村の太田村小学校37を使用しており、二階の大教室3つを寝室とし、「美麗な花筵を敷きつめ、新調純白の藁布団を各自一個づつに布き並べ師範学校所有の大蚊帳を吊つて安眠させることになつて居」たほか、「食堂があり遊戯室があり勉強室があ」るなど、児童の過ごしやすい環境になるよう計画がなされていた38。また、一階には職員室兼事務室や食堂、調理室、遊技場などが設置されたほか、外部には浴場を設置している。宿舎として使用した校舎についても「海岸に近く万事好都合」「高燥地にあり清潔にして便利多し」「村落の中心なるが故に児童看護に都合よし」と説明しており、臨海教育を実施するのに利便性の高い施設であった39。宿舎に加え、水泳場も整備されている。報告によれば、海中に5間ごとに杭を打って2本の太網を張り、渚から20間の距離に第一区画を、第一区画からさらに20間沖合に第二区画を設けていた。加えて、第一区画には両端に取りつき場を設け、水泳が苦手な児童の遊び場及び稽古場とし、飛び込み台や浮箱も設置された。この他にも、天幕の脱衣所も設けている。なお、これらの61
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