以上、大正期の富山県内では、明治中期からの「野外における教育」活動の経験の蓄積や、大正期における夏期休暇中の運動・学習を目的とする野外での教育活動の展開、自然環境の教育的効果への注目の高まり、児童中心主義的な教育方針の採用など、試験的な「林間学校」を実施するに至る実践的な基盤が十分に形成されていたと考えられる。(2)1921年度における「臨海教育」の実施さらに、帝国議会において「林間学校奨励補助ニ関スル建議」が可決された1921年度には、富山県が「林間学校」を奨励し、その実施のために県内の各小学校に対し補助金を支給する動きがあったことが確認できる。報道によれば「本年に於ける、県内各地の状況を見るに、県当局の方針に基いて、臨海教授を試みんとする所が、少なくないようである」とあり、21年度に県内の複数校が「臨海教育」を実施した背景には、県の方針があったことが分かる25。『高岡新報』でも「富山市では県の勧奨に依り」「臨海教育実施計画ある事は既報の如くで」26と報じているように、附属小学校及び市内小学校の教員らは、県の奨励策を受けて臨海教育を実施することにしたのであった。また、費用としては、1921年度の富山市内各小学校の合同による臨海教育の場合、富山県から150円の補助金を受給し、ほかに市費から約300円を支給されている27。ただし、『高岡新報』は、高岡市の小学校の動向について、「近頃各学校にては夏期海浜教育や林間教授に就いて大に研究の眼を向けられて来た、本県庁にては曩に高岡市役所を通じて高岡市の各小学校に対して児童の臨海教育を慫慂して来たが小学校長会議の結果何分初めてのことで慎重なる研究もいり経費が先に立つ問題なのだが県よりの補助費が余り充分でない為に遂にやらないことに決めたのである。」と報じている28。この報道からも分かるように、高岡市の各小学校にも高岡市役所を通じて県から補助金の給付と実施を奨励する通知があったが、補助金の額が十分でないため実施には至らなかった。また、附属小の実施報告でも「附属小学校兼ねての希望は県の補助金に依り兎も角も一通りの計画を踏んで終了することが出来た。経費の都合と最初の試みなるが故とで其期間並びに児童の選択其施設規模等に於て考慮の余地多々あつた事と思ふ。其研究に於ても食品の科学的調査や、疲労並びに血液検査の如きも必要であつたらうが、之等は他日の問題として此匆卒の間に物した雑録と他学校の諸報告とに依り何等かの参考資料が得らるるならば幸とするところである」と述べており、経費の不足により十分な調査研究が難しかったことが分かる29。だが、「附属小学校兼ねての希望は県の補助金に依り兎も角も一通りの計画を踏んで終了することが出来た」と述べているように、県の奨励と補助金の支給を受けて、富山県内初の臨海教育が実施されたのであり、県の施策には一定の意義があったと考えられる。なお、1919年の『富山県教育会雑誌』30では、同年6月に開催された学校衛生主事会議における赤司普通学務局長の訓示が掲載され、「林間学校」実施の必要性も紹介されたほか、1920年には『富山日報』や『高岡新報』において「林間学校」実施を求める記事が掲載されており、建議の可決以前からも「林間学校」の需要があったことも窺える。実施を求める理由としては、夏期休暇の有効利用や虚弱児童への対応、児童の健康増進などが挙げられている31。また、1921年度には、富山県内で夏期体育的施設が複数計画されている。たとえば、『高岡新報』は、「海に山に其適する所を選んで活躍せねばならない市内各小学校は例年其夏季主として休暇中に於ける体位向上施設をなし此好機を逸せぬ様努めてゐる」と高岡市の小学校の動向を伝60
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