早稲田教育評論 第37号第1号
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 上の記述からは、「朝起会」や「学校開放」などの夏期休暇中の教育施設が一定程度実施されていたことが分かる。また、富裕層の児童を対象に、「林間学校」に類する活動を実施した学校があったことも窺える。その他、県内の各中等教育機関の登山記事や水泳に関する記事が盛んに掲載されるなど、夏期の体育的な活動が活発に実施されていた。加えて、黒部立山など全国でも著名な山岳を擁するが故に、各地の学校や団体が富山県を訪れ、その登山に関する記事が掲載されたほか、夏期旅行に関する記事も掲載されるなど、県民の間でも自然の中での生活や体験的学びの意義が共有されていたと考えられる20。 識を体験的に学ぶことや、心身の鍛錬を主目的に位置付けた「野外における教育」として、校外教授、遠足、修学旅行、雪合戦、冬期の遊戯などが、一定の研究や質を伴いながら展開されていた14。加えて、1913年の『富山県教育雑誌』では欧米の「林間学校」についても言及し、その実施の必要性が論じられるなど、野外での体育や学習の重要性が主張されるようになっている15。大正後期になると、富山県内でも体育を奨励する機運がさらに高まっている様相が窺える。たとえば、1921年8月の『北陸タイムス』の記事では、「富山県では、近時大に体育熱が向上し、至る所に運動競技の気分が充ち溢れて来たやうである」と述べ、さらに体育的施設を拡充するように求めている16。また、富山市内の各小学校において、夏期休暇中の体育的な教育活動が展開されたことが報道からも分かる。たとえば、1919年から21年度にかけては、学校の運動場を開放17して子どもを遊ばせた事例や、児童を引率して避暑旅行をした事例、近郊の林間や仏閣で教科学習や運動を実施する計画が複数掲載された18。一例を挙げれば、それは次のようである19。 此休暇中各小学校ではいろんな催しをやり或は学校では児童を毎朝五時頃学校に集めていろんな事をさせ或る学校では学校の運動場を全部開放して児童は勿論学校付近の子供や子守を遊ばせるやうにし又或る学校の校長は児童中裕福な家の子供十名ばかりを連れて夏期学校的に地方へ避暑に行つてる等其他何に彼といろいろ催しをやつた学校がある相だ。さらに、第一次世界大戦後の国内では、社会情勢の変容に対応するため、理科教育の拡充や教育方法の改革に取り組んでいる。その様相を『富山県政史』は「其の他作業教育・芸術教育・性教育・メンタルテスト・プロゼクトメソツド・ドルトンプラン等種々なる教育思想が紹介せられ、児童生徒の学芸会、林間学校、臨海教育・低脳児教育、学校の社会化・作業化・美的化等各種の施設を見、我が教育界は大いに多事を極むるに至つた。」と述べる21。とりわけ、富山県においては、教授の形式化を批判し、児童中心主義的な教育の実施に熱心であった。具体的には、児童の実力養成、自学自習意欲の向上、教材の精選に取り組んだほか、教科連携、訓育や体育の生活化等が実施されている。さらに1922年には、富山市内の小学校が「秋季学年制」を実施するなど大胆な改革にも取り組んでいた。先に見た大正後期の体育奨励策や夏期の体育的施設・活動の拡充は、こうした児童中心主義的な教育の一環でもあった22。また、児童中心主義的な教育の実施は、教育方法改良の目的から学校建築や自然環境の教育的効果に注目し、新たな活動の展開や環境の整備につながる側面もあった23。師範学校附属小学校を例に取れば、1920年度には「児童博物室」「児童図書室」「児童園」の設置などが進められ、教育環境の拡充が図られている24。59

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