2.西アフリカにおけるフランスの教育協力(1)開発援助のなかの教育協力管理運営面での経験を得るためにも、非アフリカ諸国の大学の施設を最大限に活用することが提唱された。さらに、教育の「アフリカ化」を目指すカリキュラム改革に関しては、アフリカの文化や需要を教育内容に組み込むことを念頭に、以下のように提言されている42。 あらゆる科目、あらゆる教育レベルにおいて、アフリカの教材を使用する必要性があることや、すべての学生が履修できるよう慎重に組み立てられたアフリカ研究のコースの導入の必要性が認識されるべきである(⑤カリキュラムの選択と適用、第40項) カリキュラムの内容と教育方法の適応には、新しい教科書の執筆が必要であり、これは大学職員が外部の専門家と共同して行うことができる。ユネスコは、社会科学の分野ですでに行っている取り組みを強化し、アフリカの大学が教科書を執筆、出版することを支援できる(⑤カリキュラムの選択と適用、第43項)アディスアベバ会議において、教育のアフリカ化を推進すべく、アフリカの状況に合わせたカリキュラムや教材の導入が提唱されたが、タナナリブ会議においても同様の方針が示された。さらに、このアフリカ化にむけた教材開発やカリキュラム開発にとって不可欠であるとされたのが、高等教育および、文化施設での「アフリカ研究」であった。アフリカ研究は、「カリキュラムのアフリカ化において不可欠な役割を担っている」(第49項)とされ、「アフリカの文化遺産の痕跡を集め、その遺産を保存し、また、普及の手配を可能にしなくてはならない」(第50項)とされた。また、実質的な手段として、大学内にアフリカ研究機関を組織することや、ユネスコが主導的な役割を担ってアフリカ研究に関する文書を特定の機関に一元的に集め、ユネスコ加盟国が利用できるようにすべきことなどが提言された。アフリカに対する国際的な教育協力の機運が高まるなか、フランスもアフリカへの協力体制を整えつつあった。フランスにおいては、西アフリカ諸国独立の前年である1959年3月27日の政令(le décret du 27 mars 1959)で援助と協力の一般原則が定められ、首相の権限下に、旧海外フランス省および他の省庁の職員、嘱託職員で構成される「共和国と共同体諸国との援助・協力に関する省庁間協議会」(Conseil interministériel pour l’aide et la coopération entre la République et les autres Etats de la Communauté)が設置された43。同時期には、援助・協力ミッション(missions d’aide et de coopération)や、開発資金を助成する援助・協力基金(Fonds d’aide et de coopération、旧Fonds d’investissement pour le développement économique des territoires d’outre-mer)が設立され、旧植民地に対する開発協力の体制が着実に進んだ。さらに、1961年6月10日付の政令によって、上述の「共和国と共同体諸国との援助・協力に関する省庁間協議会」が「協力省」(le ministére de la Coopération)となり、外交政策と防衛協定に関するものを除いて、旧植民地と条約や協力協定49
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