早稲田教育評論 第37号第1号
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 この目的のもと、同会議で議題となったのは、①アフリカの経済・社会発展のための教育需要の確認、②経済・社会発展のための基礎的要素としての教育需要の整理、③教育開発のための国際協力の類型化、④教育開発のための資金調達の在り方などである。また、教育の資金調達、教育計画、学校教育の内容と方法、教師の訓練、専門的・技術的・職業的訓練のための一般教育に(1)アディスアベバ会議 おける技術協力委員会」(Commissionde coopérationtechniqueenAfriqueau Suddu Sahara)を設立し、アフリカの教育への関与を継続させる姿勢を示した。アフリカに対する直接的な教育支援が行いやすい状況になったとはいえ、ユネスコの支援はアフリカに植民地を持つ宗主国と植民地政府に受け入れられたわけではなく、教育援助の主導権をめぐる牽制が続いた。先述の通り、1958年のギニアの独立後、1960年には仏領西アフリカを構成したすべて国がフランスからの独立を果たした。独立後のアフリカ諸国が自国の教育制度の確立を考えるうえで重要な契機となったのが、アディスアベバ会議、タナナリブ会議と呼ばれる2つの国際教育会議である。ユネスコは、第二次世界大戦以降、数次にわたって世界の地域別教育会議を開催し、途上国における教育の普及と拡大を推進してきた。アディスアベバ会議に先立って開催された地域会議としては、中南米を対象とした、「ラテンアメリカ地域における無償・義務教育会議」(1956年)や、アジア地域を対象とした、「初等・義務教育に関するアジア地域ユネスコ加盟国代表者会議」(1959年)がある20。後者は、パキスタンのカラチで開催されたことから、カラチ・プランとも呼ばれる。カラチ・プランは、アジア地域全体として1980年までに初等教育の無償化と義務化を実現しようとする教育計画であった。アフリカを対象としたアディスアベバ会議は、ユネスコが1961年(5月15日-25日)にエチオピアの首都であるアディスアベバで開催した会議であり、アフリカの39カ国の政府が参加したほか、オブザーバーとして、アフリカ大陸に属さない24カ国の政府や10の国連機関と24の国際的な非政府組織が参加した21。正式名称は、「アフリカにおける教育の発展に関するアフリカ諸国会議」(The Conference of African States on the Development of Education in Africa)であり、会議の議長は、ガーナの教育・福祉大臣であるハモンド(A.J.Dowuona Hammond)が務めた。同会議の目的について、報告書の序文では以下の通り述べられている22。 この会議の目的は、アフリカ諸国がアフリカの経済・社会開発を促進するための優先的な教育需要について決定するための討論の場を提供し、それらに照らして、この地域の経済成長のために決定した優先事項を具体化した、同大陸の教育開発のための最初の暫定的な短期的および長期的計画を確立することである。 また、各国の経済・社会計画や開発が速やかに進展することを前提に、このような短期・長期の教育計画に対して、国内収入から最大に貢献することに関して、決定を下す手助けをすることも意図される。アフリカのための計画の策定は、彼らが決定した量的目標と質的変化や改善とを一致させるためのものであり、各国自身が達成しなくてはならない。45

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